男女の友情は成立する? 片方が恋愛感情を抱いてしまったら? 永遠の論争に新しい答えを提示したドラマ『若草物語』
なぜ「恋しない人」は“偏屈”に描かれがちなのか
一方で、すごく気になってしまった点もありました。 これまでの「恋をしない人」が登場するドラマを見ていて、いつも気になってしまうのが、恋をしない人がどこか偏屈で、意地っ張りに描かれること。マイノリティは変わり者でこだわりが強いに違いないっていうのも、マジョリティのマイノリティに対する偏見フィルターだと思うんですよね。 『若草物語』でも、恋をしない涼が、意固地みたいに描かれていたところがありました。もちろん、既存の価値観に違和感を唱える人物なので、意思が強く見えるのは自然なこと。ただ、その点を差し引いても、え? って感じるところがあったんです。 涼の姉の彼氏が、涼と男友達である律を見て、恋人関係だと思い込み、「二人は長いの? 付き合ってるんでしょ?」と聞いてきた際、涼は「男女ペアと見ると恋愛でしか人間関係把握できないの、古いな~って思っただけです」とかなり嫌味っぽく言うんです。 いや、わかるんですよ。男女ペア=恋人関係だと決めつける世の中に対してうんざりするのも、怒りを感じるのも。でも、喧嘩腰で挑発的に言うのって、恋しない人と恋する人の分断を煽る気がするんですよね。だからって毎回懇切丁寧に対応しろとも思いませんけど。
「選択を否定しない」大切さはどの立場でも同じ
そして、極めつけは涼の妹に対する発言。 涼の姉妹たちは「恋する側の人」たち。恋する人、恋しない人で考えや価値観が違うのは当たり前で、意見が対立することもあれど、普段はお互いを否定することなく、それぞれの価値観が尊重されているように見えました。 しかし、涼の妹・衿への発言には驚きました。涼と衿は年齢が近く、涼は脚本家、衿は俳優になるという夢を学生の頃から共有していて、涼は衿を同志だと思っていました。しかし、衿は前触れなく失踪、音信不通に。久しぶりに再会すると、衿はせっかく掴んだ俳優という仕事を辞め、主婦になって子どもを育てていたのです。そんな衿に対して、涼はこう言い放つのでした。 「間違ってる。衿おかしいよ。こんなところで普通の主婦みたいな。そんなの衿じゃない。なんで裏切ったの。今の衿は間違ってる」 うわーーーっ!!!! 人の人生の選択に「間違ってる」って2回も言っちゃったよ。しかも生まれた子どもがいるところでその言い方はないでしょうよ!! それに対して、衿はこんなことを言います。 「涼は自分の価値観以外認めないから」 まぁ、後日涼はこの時の発言を一応反省するのですが、だとしても、これはないなーと思いました。 恋する、恋しない。結婚する、結婚しない。みんなそれぞれの価値観や信念があっていいと思うんです。それを貫くことも。でも、他人の選択や価値観に干渉するのは違くないか? と思うんです。
ヒオカ