中学生のとき「おっぱいデカいよな」と言われたバービーが妊娠した身体の激変に思うこと
おっぱいの形のジャッジなんてどうでもいい
女体として使われてきたこの身体が、母体になっている。 こういう「妊娠したら~」は、ホルモンの変化によるもので当たり前のこと。とはいえ、人によってまったく変わらないと感じる人もいるらしい。 自分を認めて欲しいとか、自己実現! とか、がむしゃらに突っ走ってきたのに、命を育むためのマシンと化したこの身体が、むしろ誇らしく感じるのだから不思議だ。 他人や社会の判断基準によって生かされていたことをひしひしと感じる。今風に言うと、他人軸。とにかく今は、自分と胎児が心地よければそれで良いという基準になってきた。 なんで脇が黒いとダメなのか? なんでおっぱいの形にきれいとかそうじゃないとかのジャッジがあるのか? 拭い去れなかった先入観さえもとっぱらい、自分に素直になれている気がする。 お母さんって、パワフルだし、キャラ立ってる人も多くて見ていておもしろいって思ってたけど、そういうことなのかもと腑に落ちたところもある。 自分と子どもに関わりのない社会の基準なんて、気にする暇などないのだ。
バービー、「ゆるふわワンピ」デビュー
おかげで、ファッションは二極化した。 私服では目立ちすぎるからと敬遠していたド派手なものも着るようになったし、パジャマみたいな楽過ぎるものも平気で外に着ていくようになった。ちなみにど派手なものは妊娠の影響か? といわれたら、そういうわけではない。 それはここ最近の話で、妊娠発表前はいかにお腹が目立たなく、人から注目されないかということだけを考えて服を選んでいた。いわゆるマタニティワンピースは身体の線がほとんどわからないものばかりで、人生史上一番、布面積の多い時期だったと思う。 妊娠しなければ絶対に着ることのなかった、ゆるふわワンピースの世界を知れたのは貴重な体験だった。 ファッションが変われば、人も変わるということが身をもって知れたからだ。この時期の私は、人当たりがマイルドで角がなく、性格も『ゆるふわ』していたと思う。 だが、久々に攻撃力高めなピチピチコーデを着たとき、テンションが上がったという事実は見逃せない。私には、妊娠している・していないに関わらず、戦闘モード全開ファッションが良いようだ。 相反するように思える、快適さと純然たる趣味趣向。シンプルな基準によって、私のクローゼットは入れ替わりつつある。クローゼットを整理しながら、自分もシンプルになりそうな気がしているこの頃だ。 人として認められたくて、疎ましく思っていたおっぱい。もちろん、かっこいいおっぱいは今でも好きだ。 でも「身体の変化」があっても堂々とできるといったらいいだろうか。黒くなったり、垂れたり、離れたり。むしろ、歴史を刻んでいくこのおっぱいがどんどん愛おしくなっていくのだった。
バービー(芸人)