時速300キロを夢見たスーパーカーの時代
■夢の終わり
スーパーカーが誕生し、時速300キロの夢へ挑戦し続けていたまさにその時、第四次中東戦争が勃発し、オイルショックに見舞われるのだ。 400馬力を叩き出す大排気量多気筒エンジンは当然ガソリンを大食いする。実用的とは言いがたい。さらに荷物の置き場所ひとつないミッドシップレイアウトには速度と馬力とスタイル以外の贅沢は一欠片もなかった。時速300キロの夢は、他に何も求めないという忠誠を求める夢だった。このオイルショックで百花繚乱だったスーパーカーの時代は唐突に終わる。自動車業界全ての夢を託す存在から、富裕層が買い求めるイタリアの高価な民芸品にその身をやつして、細々と続いていく。 実測値でようやく時速300キロを実現したのはそれから10年を経た1984年デビューのフェラーリ288GTOである。レーシングカー派生のGTOはあまりにも特殊だった。その後多くのスーパーカーがその記録を伸ばし、ついにはブガッティ・ヴェイロンが時速400キロの壁を突破したが、1973年にあったあの熱狂はすでに過去のものになり、もはやそれに対する世の中の興味は冷めていた。それはスーパーカーの最高速度が社会全体に高速移動の未来をもたらすものではなく、ただたんに記録に挑戦する酔狂な行為に過ぎないということに人々が気づいてしまったからだ。 今やセダンのみならず、SUVですら時速250キロをこなすモデルがある。そこまではキャビンの居住性も荷室のスペースも、あるいは乗り心地まで犠牲にせずに手が届く。法律を変えさえすれば社会に普及させることが可能な高速移動の自由だ。後は冒頭に記したように、それによってもたらされるリスクを社会が許容できるかどうかを判断すればいい。しかしその先のたった50キロは2016年の今でも速度に全てを捧げたクルマにだけ許される世界であることは変わっていない。 (池田直渡・モータージャーナル)