時速300キロを夢見たスーパーカーの時代
■スーパーカーの時代
かつて人類が科学によるバラ色の未来を無邪気に信じていた時代のことを振り返ってみようと思う。何故ならば、ある時代人類共通の夢であるかのように盛り上がった時速300キロが、別に安全に対してやかましい規制が強まったわけでなくても自然に収束に向かったからである。それはわずかな期間だけ自動車に時速300キロの時代が来ることを予感させたスーパーカーの時代だった。 自動車評論家の沢村慎太朗氏は、スーパーカーを「高性能でミッドシップの市販車」と定義した。ここからの説明は、主に沢村氏の著書『スーパーカー誕生』(文春文庫)および、『午前零時の自動車評論10』(文踊社)をベースに書き進めたい。 「高性能」「ミッドシップ」「市販車」の3つは相互に深く関係しながら成立している。クルマの性能には様々な指標がある。ブガッティ・ベイロンの様に史上最速の最高速度を目指すもの。ロータスに代表されるような俊敏な身ごなしを目指すもの。レンジローバーの様に道なき道を走破する性能を目指すもの。あるいはプリウスの様に世界最高燃費を目指すものもある。どれも高性能だ。 しかし、誰にでも単純に分かりやすいのはやはり速度だ。「分かりやすい」とはつまり率直に商品力そのものが高いことを意味する。「市販車」として売れる商品になる。それは冒頭に記した通り、クルマはより速い移動を希求して作られた機械だからだ。そして、そこには不思議と時速300キロという数字が象徴のように出てくる。 法律の縛りさえなければ、時速200キロは今や難しい性能ではない。というより、その速度に到達できるクルマはゴロゴロしている。しかし時速300キロは、現在でも簡単には到達できない境界線の向こう側に存在する。技術的にも倫理的にも、そこには壁があるのだ。
■ミッドシップレイアウト
1960年代、市販車が時速300キロを越えるためのエンジニアリングキーは、ミッドシップというシステムレイアウトにあった。 時速300キロを本気で達成しようとすれば、エンジン出力は概ね400馬力程度必要だ。そしてミッドシップでないとならない。ミッドシップ以前のFR最後のモデルとしてはフェラーリ・デイトナという存在がある。外誌のテスト実測値で時速280キロを記録した。その数年前に世界で初めて時速300キロを越える市販車として、ミッドシップのランボルギーニ・ミウラがデビューしていた。しかしながらミウラは実測値では時速300キロに達することはなかった。今で言えばそれは誇大広告だったのだ。