「君の会社、ゴミを作ってるようなもんだね」 心ない言葉で失意の底に、それでも大地震で気付いたパッケージの価値
◆頭も値段も下げまくる…だんだん嫌に
----入社後、どのような仕事をされたのですか? 最初は営業で、例の営業部長に同行していました。ただ、彼は私に仕事を渡す気は一切なく、何も教えてくれない。 「じゃあ一人で回ろう」と得意先に行っても、営業部長が先に「うちのボンは役に立たなくて」などと触れ回っており、たいていのお客さんは冷たい態度でした。 営業の数字が取れないため、配達の仕事をやろうと考えました。 袋のストックをパン屋などに配達する仕事があったので、朝一番に伝票を全部持って配達に出ましたが、「配達社員の仕事がなくなるからやめろ」と父に言われ…。 この時期は、いろいろ辛かったです。 ----当時の会社の経営状況はどうでしたか? 売り上げは順調に成長していたのに、大赤字でした。安く売っていたからです。 卸売業の平均の半分以下という粗利で売ってしまうのが常でした。 しかも、上得意先には請求書から数%値引きしたりすることもありました。 父は決算書を見なかったため、気づいていなかったと思いますが、経営はギリギリの状態でした。 当時の卸売業は、「とにかく頭と価格を下げて注文をもらう」のが当たり前でした。 「10円」と提示しても、「よそは9円やで」と言われたら、「じゃ8円80銭にします」という世界。「安くする業者ブランディング」でした。 こちらの提案内容も人柄も関係なく、とにかく値段だけで判断される。そんな実情を目の当たりにして、だんだん仕事に嫌気がさしてきました。 とどめとなったのが、顧客からの言葉です。 「松浦くんの会社って、ゴミを作ってるようなもんだよね」と言われました。 袋というのは、中身を食べたら捨てるものです。 つまりゴミ。あながち間違ってないな、と思いました。 ということは、うちの会社はゴミ製造業、環境破壊業なんだ…と思うと、パッケージ自体が嫌いになってしまいました。
◆災害時、パッケージの価値に気付かされる
----「仕事が嫌い」という状態から、どのように抜け出したのですか? 2011年の東日本大震災が、きっかけです。 震災直後、スーパーやコンビニからいっせいに商品が消えましたが、実は商品が作れなかったわけではありません。 作れなかったのは「袋」です。 ペレットという袋の原材料が作れず、パンもお菓子も作れるのに、袋がなくて出荷できない状態でした。 弊社の得意先の饅頭屋も、袋がないため商品の出荷が止まっていました。 「何とかしてくれ」と連絡があり、私はメーカーに頼み込み、何とか納品できました。 そのとき、饅頭屋の社長から、「松浦さんのおかげでうちの商品が出荷できます、ありがとうございます」と言われたのです。 「ああ、パッケージはゴミじゃなかったんだ」と、長い間の心の引っかかりがとけました。 ----今は、パッケージの意義をどのように考えていますか? パッケージを使う理由は、2つあります。 1つは、安全安心に商品を輸送するため。 お菓子でも何でも、商品は裸のままでは安全に輸送できません。 食品は袋に入れておかなければ、カビが生えたり湿気が出たりします。 もう1つが販売促進です。透明無地でも事足りますが、デザインや形状を考えたりするのは、売れてほしいからです。 うちのお客さんは単なるパッケージが欲しいのではなく、「安全安心」「販売促進」が欲しいからパッケージを使うんだ、という気づきを初めて得て、会社が進むべき方向性が分かってきたと思います。
■プロフィール
1974年、徳島県生まれ。広島大学理学部を1997年に卒業後、大手パッケージメーカーの大塚包装工業に入社。2002年、パッケージ松浦に入社。2005年4月に創業者である父の後を継いで同社代表取締役社長に就任。売り上げを伸ばすためのパッケージ資材やブランディングの提案を行うとともに、ブログやセミナー、講演などでパッケージマーケティングについて発信を続ける。著書に『売上がグングン伸びるパッケージ戦略』『売れるパッケージ5つの法則と70の事例』。徳島県中小企業家同友会、日創研徳島経営研究会、盛和塾〈徳島〉、四究会所属。