清少納言の曽祖父、清原深養父の百人一首「夏の夜は~」の意味や背景とは?|清原深養父の有名な和歌を解説【百人一首入門】
清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、平安時代の歌人で、中古三十六歌仙のひとりです。百人一首42番目の「契りきな~」の作者清原元輔の祖父であり、『枕草子』の作者、清少納言の曽祖父であることが知られています。文学的な素養に恵まれた家柄だったといえそうです。 写真はこちらから→清少納言の曽祖父、清原深養父の百人一首「夏の夜は~」の意味や背景とは?|清原深養父の有名な和歌を解説【百人一首入門】
清原深養父の百人一首「夏の夜は~」の全文と現代語訳
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ 『小倉百人一首』の36番に収められています。夏の夜の短さと、その美しさを感じさせる一首です。 現代語訳すると次のようになります。「夏の夜は、まだ宵の口だと思っている間に夜が明けてしまった。いったい雲のどこに月は宿をとっているのだろうか」。 この歌からは、夏の夜の短さに対する感慨と、月の行方を追う深養父の繊細な心情が伝わってきます。「宵」は、夜に入って間もないころのこと。「まだ宵ながら明けぬるを」には夏の夜が短いことと、あっという間に朝になってしまった、という気持ちがこめられています。宵の口から夜が明けるまで月を見ていたことになるので、深養父の月に対する思いもよく表れています。 「月やどるらむ」の「月」は十六日以降の、夜が明けてもなお空に残っている月のこと。「やどる」の主語は「月」で、擬人法を用いています。月を擬人化することで、一晩中一緒にいた者同士が、別れを惜しんでいるかのような雰囲気も漂っています。
清原深養父が詠んだ有名な和歌は?
清原深養父は、百人一首に収められたこの一首以外にも、美しい和歌を多く残しています。以下に、深養父の代表的な和歌を二つ紹介します。 1:冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ 「冬であるのに、空から花が舞い降りてくる。この雲の向こうはもう春になっているのだろうか」 「冬ながら」という冒頭の言葉から、この歌が冬の情景を描いていることがわかります。しかし、次に「空より花の散りくる」と続く表現で、舞い降りてくるのが花であると語られています。この「花」は、実際には雪のこと。古来より、雪はその白さや軽やかさから花にたとえられることがありました。したがって、この歌においても、雪がまるで桜の花びらのように舞い散る様子が描かれています。 次の「雲のあなたは 春にやあるらむ」という部分では、雲の向こう側に春があるのではないか、という想像が述べられています。この歌全体が示唆するのは、冬の寒さの中でも、春の訪れを予感させる自然の美しさと希望です。 つまり、雪がまるで春の花のように見えることから、心の中で春の訪れが近づいていることを感じ取る様子が表現されています。 雪を花に見立てるという詩的な比喩表現や、季節の移ろいに対する繊細な感受性は、和歌の中でも特に秀逸なものとされ、『古今和歌集』に収められ、後世に広く伝えられました。 2:神なびの 山をすぎゆく 秋なれば 龍田川(たつたがわ)にぞ 幣(ぬさ)は手向(たむ)くる 「神なびの山を越えていく秋なので、龍田川に幣を捧げて手向けるのです」 神なびの山は、奈良県生駒郡三郷町の龍田大社背後の山を指しています。かつては龍田山と呼ばれ、この山の南側を廻るように龍田川が流れています。古くは、人が峠を越えるとき旅の安全を願い、神に手向をする風習がありました。それになぞらえて、秋を人に見立て、秋が終わり去って行く時に紅葉を手向けたと詠んでいます。 「幣」は、神に捧げる供物の一種です。紙や布で作られたもので、神に対する感謝や、祈願の意味を込めて捧げられるものです。紅葉を幣になぞらえる趣向は菅原道真や紀貫之の歌にも見られ、当時の流行であったようです。