牛島司令官「最後の願い」どう捉えるか 「辞世の句」陸自15旅団がHPに再掲載
先の大戦末期に始まった沖縄戦では米軍が空襲や艦砲射撃など猛攻撃を加えた「鉄の暴風」が吹き荒れ、凄惨を極めた。第32軍司令官の牛島満中将が摩文仁の丘(糸満市)の司令部壕で自決し、組織的戦闘は昭和20年6月23日に終結した。 【写真】沖縄戦で旧日本軍を率いた牛島満司令官 日米あわせて20万人以上が戦死し、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった。大本営が「沖縄作戦は本土戦備のために時間を稼ぐ持久戦」と位置づけていたことから、「沖縄は捨て石にされた」との批判もみられるが、沖縄を守ろうと多くの特攻隊員が海に散り、約2万8000人の沖縄出身軍人・軍属、約6万5900人を数える他府県出身の軍人が命を落とした。 ■最後の願い込め 沖縄県隊友会初代会長の石嶺邦夫さん(91)=同県読谷村=は「沖縄の地は荒廃し、司令官は戦争が済んだらまた元の沖縄に戻ってほしい、再生してほしいとの最後の願いを込めて辞世の句を詠んだのだと思う」と話す。 陸上自衛隊第15旅団のホームページ(HP)に掲載されていたことが地元メディアに報じられると県内で一部の批判を招いたが、「日本軍を美化するといった意図をもって詠まれた歌ではない。最後の願いを素直に受け取るべきだ」と訴える。 旅団はHPのリニューアルに伴う措置として10月31日、辞世の句が掲載されたページを差し替える形で「ホームページの見直しについて」と題した文章を掲載。各メディアは「掲載取り下げ」と報じた。 ■「批判で見合わせは問題」 関係者によると、辞世の句は一部修正を加えたうえで年明けにもHPに再掲載する方針だ。 旧防衛庁広報誌編集長を務めた評論家の潮匡人氏は「一部メディアに批判され、掲載を一旦見合わせたのなら問題だ。自衛隊にとって必要なのは、国民の理解や支持。辞世の句の確認のため一時的に掲載を見合わせたのであれば、改めて掲載の意図を伝えるべきだ」と指摘する。 辞世の句を掲載した旅団には、先の大戦の教訓を踏まえ、沖縄の平和と発展に自衛隊が寄与したいという純粋な思いがあったとみられるが、そのことが十分に伝わっていない可能性がある。 沖縄の社会思想に詳しい沖縄大の宮城能彦教授(地域社会学)も「県民感情として反発があるのは仕方がないが、世論の批判やメディアに騒がれたから掲載を見合わせるのは逆に不信感を招きかねない」と危惧する。