『光る君へ』ドラマでは描かれなかった藤原道長の壮絶な最期、四納言や道綱はどのように人生の終わりを迎えたのか?
■ 道長と運命を共にした「四納言」それぞれの晩年 道長の支えた四納言(藤原公任・源俊賢・藤原行成・藤原斉信)については、最終回で皆がそろうシーンがあり、その穏やかで楽しい雰囲気が心に残った。4人それぞれの個性によって、時にはぶつかりながらも道長をよくバックアップしたと思う。 特に、藤原公任と藤原斉信は、道長が出世する前からの付き合いであり、互いにライバル関係でもあった。にもかかわらず、2人とも「チーム道長」の一員として支える側に回ったのは、道長の魅力がなせる業だろう。 ドラマでは、四納言たちが「酒に弱くなった」「厠が近くなった」などと老化を自虐的に語る中、最年長の源俊賢が「ああ、皆さん、私よりお若いのに情けないことですなあ」と嘆く。「厠は近くないのか?」という問いに「ま~ったく平気にこざいます!」と答えて、皆の笑顔を誘った。 このシーンは史実を知って見ると、また考えさせるものがあった。道長を含めた5人の中で一番早くに亡くなったのは源俊賢で、万寿4(1027)年6月13日に69歳で亡くなっている。これだけ活力にみなぎっているように見えても、人生の終わりは突然に訪れると、しみじみと思わせる場面となった。 次に亡くなったのが道長だが、なんと同じ日に56歳の行成も亡くなっている。ドラマでは「あいつは誠に道長によく尽くしたよ」という斉信のセリフがあったが、まさに道長のために汗をかいた生涯だった。 藤原公任はというと、前述したように、顕光が死去した後に、権大納言の藤原教通が内大臣に、大納言の藤原実資が右大臣に出世するが、公任は権大納言のまま。大納言への昇進がかなわずに出世の限界が見えてくる中で、まずは次女、次に長女を立て続けに亡くすという不幸に見舞われた。権大納言の官職を辞して、万寿3(1026)年に出家を果たしている。最終回では、出家によってすっきりした表情の公任の姿が描かれた。 斉信は、四納言の中で最後まで官界に残った。大臣の任官はかなわなかったが、十分に頑張ったと言えるだろう。長元8(1035)年3月23日に69歳で死去している。総集編では、出世欲に満ちた青年時代の斉信を振り返って見てみたいと思う。 道長と四納言の中で、最も長生きしたのは公任だった。長久2(1041)年1月1日に76歳で死去。皆を見送って旅立つ心境はいかばかりだったろうか。 こうしたそれぞれの晩年を思うと、最終回で放送された夜はもしかしたら、最後に5人がそろった夜だったのかもしれない。苦楽を共にした仲間とはまさにこのことだろう。 これまであまり注目されてこなかった四納言が、これだけ存在感を発揮し広く知られるようになったのは『光る君へ』の功績の一つだろう。