愛子さま 23歳の誕生日写真にあった「思い出の品」 天皇陛下が「テレビで見ましたよ」と笑いかけた案内役
天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまは、12月1日に23歳の誕生日を迎えられた。公開された写真のなかで、愛子さまと一緒に写っていたのは、佐賀県の重要無形文化財である名尾和紙と、佐賀城本丸歴史館が出版した『佐賀偉人伝』だった。愛子さまが初めておひとりで公務のために訪問した佐賀は、愛子さまにとって思い入れのある場所になり、佐賀と皇室との「縁」はさらに深いものになったようだ。 【写真】しゃがむ愛子さまとフードボールに「ぎゅうぎゅう」の子猫たちはこちら! * * * 「佐賀とゆかりのある品はありませんか」 愛子さまの誕生日の写真撮影にあたり、宮内庁から相談を受けた県は佐賀の偉人たちを紹介し『佐賀偉人伝』を貸し出した。そして、愛子さまが手にとって眺めていた白い2枚の紙は、愛子さまがご自身で手すき体験された名尾和紙だという。 10月11日、佐賀県を訪れた愛子さまは、佐賀市で国民スポーツ大会「SAGA2024」の陸上競技を観戦したあと、佐賀城本丸御殿の一部を復元した佐賀県立佐賀城本丸歴史館(佐賀市)を訪問。愛子さまは、ご自身が勤めている日本赤十字社を創設した佐賀県の偉人、佐野常民を題材にした寸劇をご覧になるなどした。 愛子さまの案内役を務めた、佐賀城本丸歴史館の七田忠昭さん(72)は、佐賀には愛子さまの「ファン」が多い、と笑顔で振り返る。 「愛子さまがお生まれになったときから、ご成長を楽しみにしてきたのです」 ■「マルチな方だったのですね」と愛子さま 「こちらが説明をすると、愛子さまは知識を確認するように質問を重ねてこられる。すべての知識を吸収されようとなさっている。そんな意気込みを感じました」 愛子さまのご様子を、七田さんはこう話す。
佐賀市の中心部にある佐賀城公園に到着した愛子さま。城の本丸表門である「鯱(しゃち)の門」を通って、佐賀城本丸歴史館へと進んだ。 七田さんは愛子さまと歩きながら、明治期に政府に不満を募らせた江藤新平が率いた旧佐賀藩士による「佐賀戦争(佐賀の乱)」が起こり、この門にも激しい銃撃戦での弾痕が残っていることを同行した山口祥義知事とともに説明した。すると愛子さまから、すぐに質問があった。 「どちらの弾ですか。政府軍ですか」 政府軍とは、大久保利通が率いて士族の鎮圧にあたった軍隊のことだ。 また、佐賀城は、佐賀藩の初代藩主・鍋島勝茂のもとで1611年に完成。1726年の火事で本丸、二の丸、三の丸が焼失している。そんな歴史を語る七田さんに、 「天守はその後、どうなりましたか」 と、愛子さまの質問は途切れることがなかったという。 そして、ここで披露された寸劇の題材が、佐賀県の偉人のひとり、佐野常民。 愛子さまが今春から勤務している日本赤十字社の創設者だが、蘭学者、医師であり、軍人としては軍艦の艦長まで務めたほか、日本がパリ万博やウィーン万博に参加した際の政府の責任者も担った人物だ。 「マルチな方だったのですね」 そんな感想を口にしながら、愛子さまは七田さんの説明に熱心に耳を傾けていた。 愛子さまをはじめ皇室の方々は、訪問した先々で、短時間で膨大な量の説明を受ける。それでも、愛子さまは、わからないところは何度も確認をされるなど、ご自身のなかで情報をきちんと整理されている様子だったという。 ■天皇陛下から、「テレビで見ましたよ」 七田さんにとって、皇室との接点は初めてではない。これまでに天皇ご夫妻、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、陛下の妹の黒田清子さんなど皇族方を、弥生時代の大規模な集落跡で知られる「吉野ケ里遺跡」に案内している。 東宮時代の天皇陛下と雅子さまは、1996年に吉野ケ里遺跡などを訪れているが、おふたりを案内したのが、発掘現場を担当していた七田さんだ。