過酷なレースはなぜ人々を惹きつけるのか―アダーナン・フィン『ウルトラランナー: 限界に挑む挑戦者たち』
日本において、「ウルトラマラソン」という競技を知っている人はどのくらいいるのだろう。 「マラソン」というと42.195㎞を走る競技を指す。いわゆるフルマラソンのことだ。オリンピックの競技にもなっているし、テレビでも頻繁に放送されているし、ほぼ全ての日本人が知っている競技と言える。ほとんど運動をしていない人でも、「今年はマラソンに挑戦してみよう」と思い立って、半年後にスタートラインに立つことが出来る競技だ。「日常のすぐ隣にある冒険」という感覚に近いもの、それが「フルマラソン」だ。 では、「ウルトラマラソン」はどうだろう? 日本では、この競技を知らない人の方が多いのではないだろうか。知らない人でも、ウルトラってくらいだからフルマラソン(42.195㎞)よりももっと長いのかな? という想像は付くかもしれない。 まさにその通りで、フルマラソンよりも長い距離を走るマラソンのことを、一般的に「ウルトラマラソン」と呼ぶ。しかし、この「フルマラソンよりももっと長い距離」というのがくせもので、45㎞でもウルトラマラソンだし、100㎞でもウルトラマラソンだし、1.000㎞でもウルトラマラソンなのだ。ちなみに、世界最長のウルトラマラソンは「自己超越3.100マイルレース」とされていて、距離が3.100マイル(4.960㎞)、制限時間は1.248時間(52日間)となっている。 オリンピック種目にこそなっていないが、100㎞のウルトラマラソンも、世界陸上連盟が世界記録を公式記録として認めている。また各国の代表が集う世界選手権が毎年行われ、特に欧米では権威のある競技として認知されている。 2022年に男子記録がリトアニアのランナーに破られるまでは、20年近くに渡って男女ともに100㎞の世界記録は日本人が保持していたり、毎年世界選手権でも日本人ランナーが上位入賞する活躍をしていたりと、実は日本はウルトラマラソンの強豪国である。特に北海道の佐呂間町で毎年6月に開催される「サロマ湖ウルトラマラソン」は、多くの欧米のランナーの間で一度は走ってみたいレースとして挙げられる、人気のウルトラマラソンレースなのだ。(道はキレイに整備され、アップダウンが少なく、強風が吹くことも少なく、晴天率もよいなど記録が出やすい条件が揃ったレースとして知られているからだ) こんなウルトラマラソン大国の日本だが、この手の競技が日本のメディアに扱われることはほとんどない。あえて言えば黄色いTシャツを着て24時間走り、両国国技館にゴールする時くらいだろうか。 また、たとえ知っていたとしても、「今度、挑戦してみようかな」と思う人が、果たしてどのくらいいるだろうか。そもそも、この競技を想像できるだろうか。フルマラソンを走り終えたところから、もう一回フルマラソンを走って、そこからさらに16㎞走るということを。 足の裏には500円玉くらいの大きさの水ぶくれや血豆が出来、潰れて血が噴き出す。爪は割れ、剝がれ落ちる。膝は釘が打ち込まれたみたいに痛み、太ももは斧で半分に裂かれたかのような激痛が走る。食べ物も飲み物も喉を通らない。無理に飲み込むと全て嘔吐してしまう。背中も、腰も、首も、肩も、痛くない部分なんてない。それがウルトラマラソンというスポーツだ。そしてこのウルトラマラソンを走るランナーこそが、本書のタイトルになっているウルトラランナーなのだ。 この本の中で著者は、これを「狂気のようなスポーツ」と呼んでいる。 「普通の人」からすれば、ウルトラランナーはみんな、頭がおかしいといったところなのだろう。しかし何度も言うが、ウルトラマラソンはれっきとしたスポーツなのだ。自ら走ることを決めて、スタートラインに立つのだ。そして、自分の意志で走るのだ。 何か月も何年も前から毎日毎日トレーニングをして、10時間以上痛みに耐え続けて、やっとの思いでゴールして、家族や友人からすごいねと称賛されることはあるだろう。報われるとすればかろうじて、その時くらいだ。一週間も過ぎれば、「いつまで脚痛がってんの?」と言われる始末だ。 ゴールしたからといって、大金を得られるわけでもない。(むしろお金を払って走っている)罪を犯した罰として走らされているわけでもない。(もしかしたらそういう人もいるかもしれないが) 普通の人から見れば、ゴールして得られるものに比べて、ゴールするために払うべき代償が大き過ぎる―コスパが悪すぎる―だろう。それなのに、人はウルトラマラソンに挑戦をする。なぜこんなことを、自らやろうとするのか。 その答えを探すために、ウルトラマラソン未経験の「普通の男」である著者が走り出す。 「人はなぜウルトラマラソンを走るのか?」その答えを探すために、著者はウルトラマラソンに挑戦する。なぜ走るのか分からないまま走り出す。 そして、彼はすぐにさらにディープな領域である「ウルトラトレイルランニング」の世界に足を踏み入れていくことになる。「トレイルランニング」とは要するに「山の中を走るマラソン」のことだ。これについては多くを語る必要はないと思う。本書を読んでいただくことで、著者が経験したトレイルランニングの世界を、そして著者が目にした風景やランナーの姿を追体験することが出来るはずだから。 著者は本書で様々なレースを経験し、最後には世界最高峰のウルトラトレイルランニングレースであり、トレイルランニングをしたことがある方ならば一度は耳にしたことがあるだろうUTMBに挑戦することになる。 UTMBというレースは、ヨーロッパ大陸最高峰のモンブランの周りを一周するレースだ。距離は170㎞、上る高さの合計は1万メートル、制限時間は46時間という、世界で最も過酷で、最も美しいと言われるレースの一つである。 彼はこのUTMBを完走することが出来るのか。 そして「人はなぜウルトラマラソンを走るのか?」に対する答えを見つけることが出来るのか。 これまでにも、ランニング体験記的な本を読んだことはあったが、この本が特に優れていると感じたのは人間(ランナー)の描写である。著者自身を含め、ランナーの表情や心の動き、迷いみたいなものをつぶさに描いている。同じランナーとして、「分かるわぁ」と身につまされる描写が数多くあった。 ウルトラトレイルランニングのレースでは、様々な困難に直面する。経験したことがない痛みや正常な思考ができなくなるほどの疲労、絶望的な睡魔など。直面している苦痛から最も早く逃れる手段は、リタイアすることだ。それは分かっているし、それはとても簡単なことだ。係りの人に「ここで止める」と言えばいいだけだ。さあ、係りの人に言おう。もう止めるって、それだけ言えばいい。それだけを言えば…。 このような苦痛に直面した時に、ランナーは何を考え、何に怒り、何に救いを求めるのか。そして、彼らはどんな選択をするのか。その答えは、ぜひ本書で確認していただきたい。 最後に、本書の中でウルトラランナーの姿を描写したお気に入りの文章を紹介しておきたい。 「レースを見守っている人たちにとって最も感動的なのは、プラン通りに走れなくなったランナーたちが、それでも前に進み続けようとする姿だ」 これこそが「ウルトラランナー」であり、その姿にウルトラランナーの美しさを見るのだと、僕は思う。 [書き手] 小原 将寿(おばら まさとし) 社会人になり運動不足解消のために走り始めたのをキッカケに、トレイルランニング、特に100マイル(160㎞)レースの世界に情熱を注いでいく。 2019年に世界最高峰の100マイルレースであるUTMBにて、日本人として七年振りに表彰台に立ち、8位入賞を果たし、自身の夢を叶える。2024年度からはランニングコーチもスタートし、オフラインコーチでは100マイルレースでの表彰台を目標としたチーム、オンラインでは「ランニングで実現したい夢や目標があること」を参加条件に活動している。 フルマラソンベストタイム 2時間24分50秒 (2015年 福岡国際マラソン) 100㎞ウルトラマラソンベストタイム 7時間06分02秒(2023年 サロマ湖100㎞ウルトラマラソン) UESCAウルトラランニングコーチ [書籍情報]『ウルトラランナー: 限界に挑む挑戦者たち』 著者:アダーナン・フィン / 翻訳:児島修 / 出版社:青土社 / 発売日:2024年03月4日 / ISBN:4791776208
青土社
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