「私がミニスカートをはいても、ニューストピックにならない世の中になってほしい」 “渋谷系の女王”野宮真貴さんが語る音楽と人生の「昨日・今日・明日」 「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
「信藤さんとの打ち合わせには特徴があって、沈黙が続くことが多かった。小西さんが出したビジュアルのアイデアに対して、信藤さんが答えるまでの時間がすごく長かった。きっと頭の中にある膨大な知識を探していたのだと思う」 70年代からのパルコの名作広告の数々を紹介した「PARCO広告展」では、立命館大教授で作家の千葉雅也さんと共に90年代の広告のキュレーションを担当した野宮さん。90年代の空気を伝えることを大切にしたというが、「信藤さんの作品を多めに選んじゃいました」。 「パルコの広告で印象に残っているのは70年代の山口はるみさんのイラスト。80年代は糸井重里さんのコピーの言葉が印象的だった。90年代に入ると信藤さんのレコードジャケットのような広告が出て、自分も出演する側になっていた」。80年代にあった文学性が90年代はポップさに代わっていったと千葉さんは分析していたという。 「ガーリーカルチャー(若い女性が自己表現する文化)を取り入れたり、(映画監督として)有名になる前のソフィア・コッポラを写真家として起用したり、パルコは先見の明があると思った」と野宮さん。「90年代は小室哲哉さんが活躍していた時代なのに、渋谷系カルチャーのクリエーターたちをアートディレクターや出演者に起用したのもすごい」
振り袖を着た野宮さん、はかま姿の小西さんと外国人観光客たちを東京で撮影した2001年冬のグランバザール(大型バーゲン)の広告も信藤さんの制作。インバウンド(訪日客)があふれる現在の東京や渋谷の街を予言しているかのようなビジュアルだ。バンド解散の年でもあり、ピチカート・ファイヴ最後のアルバム「さ・え・ら ジャポン」では海外の人から見た日本をテーマにしていた。 ▽「東京は夜の七時」の背景 ピチカート・ファイヴで一般によく知られる曲といえば「東京は夜の七時」。 「あれは小西さんが恋愛中に作った曲で、私自身もテレビの仕事で知り合った(後に夫となる)男性に恋していたから、2人の気分がこの曲を生んだのかもしれない。あのメロディーは他になく、30年歌い続けている大切な曲」。93年当時の東京に流れていたクールでハッピー、一種の浮かれた雰囲気、前に進むエネルギーが詰まった作品だとも語る。 「そんな背景が音楽として表現されているから今でも多くの人に聴いてもらえて、2016年のリオパラリンピック閉会式の引き継ぎ式でも編曲が使われたのでは。東京を代表する曲だと思う」