「私がミニスカートをはいても、ニューストピックにならない世の中になってほしい」 “渋谷系の女王”野宮真貴さんが語る音楽と人生の「昨日・今日・明日」 「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
小西さんと野宮さん、94年までメンバーだった高浪慶太郎さんの3人には「子どものころ聴いていた60年代のグループサウンズやビートルズとかの音楽が好き」という共通点があった。「メンバーたちが好きな60年代のハッピーな音楽がベースにあり、90年代の最新の音楽手法―DJやクラブミュージック、そしてサンプリング(他の楽曲からの引用)を取り入れることで、ポップでリズム感があり、みんなが踊れるような音が生まれた」のだという。「古いものと新しいものをミックスした音楽。でも根底のメロディーラインがしっかりしていたから、今聴いても古くならないのかな」 ピチカート・ファイヴや、小沢健二さんと小山田圭吾さんによる「フリッパーズ・ギター」などの渋谷系のバンドは、創作のヒントを得ていた60年代の英米のバンドや、フランスやイタリア映画のサウンドトラック、それらに関わるファッションやデザインの情報を発信する役割も担っていた。
「意図的ではなくて、バート・バカラックなどの音楽、ヌーベルバーグの映画などに対する自分たちの“好き”という気持ちが高じ過ぎて、『こんないいものがあるんだよ』って皆に伝えたいという流れになっただけ」とほほ笑む。 フランス映画の女優を思わせる野宮さんのファッションの評価も高かった。小西さんもクリエーターたちへのリスペクトを込めて、創作の引用元をいつも明らかにしていたという。 「渋谷系をつくった男の一人と言われるHMV渋谷(英国に本拠を置く外資系大型CD店の日本1号店)の太田浩さんという名物バイヤーがいて、小西さんやフリッパーズの小山田さんが推薦する海外の音楽やカルチャーを店内で紹介していた」。まだインターネットが普及していない時代、それがファンの間で話題になり、情報として広がっていくという特異な現象も起きた。 ▽信藤三雄さんとの思い出 透き通った高音の声を持つ野宮さんの洗練されたルックス、完成されたステージやCDデザインはファンを魅了した。そんなピチカートの世界観の形成には一流のカメラマン、ヘアメーク、スタイリストなどのスタッフが関わった。その中心にいたのが、23年2月に75歳で亡くなったアートディレクターの信藤三雄さんだ。松任谷由実さん、MISIAさん、渋谷系アーティストなど千枚以上のレコードやCDのデザインを手がけ、パルコの広告もつくった大物クリエーター。