「Fラン大という名の大学はない」弁護士が悠仁様の筑波大推薦合格について伝えたい経済と社会の話
皇族が自分の学力などをふまえ進学先を選ぶ意味
そして、「法の下の平等」を規定した14条が「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と念を押し、89条が「公の支配に属しない」宗教団体や教育事業等に対し公金支出を制限するなど財政面でも縛りがかけられ、加えて、戦前の旧制高校・陸海軍系の士官学校などが廃止された結果、東京大学(東大)入試を頂点とする学力選抜重視の戦後の国公立大学優位の教育システムが確立され、これが日本のメインストリームとして現在も維持されています。 この流れの社会では、一般入試以外の方法で入学した者に対する「推薦組」・「付属上がり」などといった間接的な言い回しによる実際上の差別が陰に陽に行われ、この社会的風潮が、関係者によって行われたであろう東大の推薦入試検討等の際に何らかの形で強い影響を与えたことは容易に想像できます。今回、高校までの進路選択や入試形態などがどうあれ、旧帝国大学のようなエリート校ではないが実績ある研究系・教育系の手堅い大学に悠仁さまが入学されることは、1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」の観点からも良かったと思います。 ーー皇族が自分の学力などをふまえ進学先を選ぶことについては、どのような社会的意味があるのでしょうか。 (野澤隆弁護士) 皇族は世俗から離れた、少なくとも離れるようにすべき存在だと強く思っている人々がまだまだ多い現状で、皇族、特に皇位継承予定者が一般人と同じレベルで受験するとなれば、二つの意味での「しんわせい」を慎重に分析する必要があります。 一つは「神話性」であり、この視点からは、これまでの悠仁さまに対する教育は、大半の期間において名門学校に何とか進学させようと奮闘する一般家庭と表面上はあまり変わらず、残念に考えていた人が最近まで多かったと予想されますが、最終的には日本社会における最重要受験である大学入試において好印象の結果を残せたのだろうと思われます。 もう一つは「親和性」であり、この視点からは、いろいろな意見があるはずです。ある人は公立学校の推薦入試に反発する観点などから親和性を否定し、ある人は多様化する入試や皇族の世俗学校への進学を歓迎する観点などから親和性を肯定するといったところです。 「雑草という名の草はない」旨の昭和天皇のお言葉は、植物学者の牧野富太郎の影響などがあって発せられたようですが、このお言葉は博識高い天皇の「神話性」と一つ一つを大切にする「親和性」両方の意味を含むものでしたので、名言として語り継がれたのだと推察します。