世界各地に存在する「男女に区別されない性」が当たり前にある民族
ジェンダー論の教科書には身体のことが書かれていない
【三橋】ありがとうございます。私がジェンダー&セクシュアリティ論を大学で講義することになった経緯は「はじめに」に書いたんですが(※)、本当に不思議な成り行きで、日本のジェンダー論の中で私は全くの異端なんです。 そもそも私の世代ではそういった講座が大学になかった。私自身、もともと専攻していたのは日本古代史です。 だから講師の依頼があったときにも「ちゃんと勉強したことはないので、自分がトランスウーマンとして生きてきた経験を踏まえて、その視点からジェンダーやセクシュアリティをどう捉えるかという話でよろしければ」ということで引き受けました。 現在でも日本の大学ではジェンダー論はあってもセクシュアリティ論の講座はまだまだ少ないです。ジェンダー論の先生もジェンダーについては熱心に語って、セクシュアリティについては一切語らない先生が多い。 それに、学生からしてみるとやっぱり正統的なジェンダー論の講義は今ひとつつまらないんですね。こんなことを言うと叱られますけど(笑)。それでジェンダー論が嫌いになってしまったら逆効果ですから、せめて少しは面白がってくれるような話をしようというのはひとつの動機になっています。 2つ目の医学的な知識については、たまたま医者の家に生まれたものですから、トイレに日本医師会雑誌が積んであって、カラーページには症例写真や手術の写真が載っていました。 一般の人が見たらちょっとグロテスクなものだと思います。私の世代で男の子だと医者の家に生まれたら後を継ぐものだという固定観念の中で育って、自分でも「医者になるのは仕方ないかな」と思っていたんですが、あるとき父から「開業医にはなるな。本当は自分もなりたくなかったんだ」と言われたんですね。 だったら好きな歴史をやろうと思って高校3年生で文系に変わって、そこで医学とは縁が切れたと思っていました。 その後、日本では1990年代後半に性同一性障害という概念が入ってきて急速に広まります。それが自分自身がトランスジェンダーとして社会的に発言をし始めた時期と偶然重なったんですね。当事者として自分は何なのかという語りをする上で性同一性障害の知識が必要になって、勉強をし始めました。 それで1999年にGID(性同一性障害)研究会[現・GID学会]が初めて開かれたときに、交流があった先生に「三橋さん、コンパ要員としておいでよ」と呼ばれたんです。お酌をするのは仕事でやっていたからできるけど、どうせなら学会も聞こうと思って参加するようになりました。 その中であるとき、お医者さん以外の一般の人と自分では、人間の体の仕組みに対する基礎知識が全然違うことに気がつきました。研究会では血だらけの手術症例画像がスライドで出てくるわけです。 手術のとき、設計図のように体に線を引いて、その線にそってメスが入っていくと血が出てきて......という手順があったときに、何をしようとしているのか大体わかってしまう。それは子どもの頃に読んでいた医学会雑誌の影響なんですね。 講師を引き受けた後で先行するジェンダー論の講義のいろんな教科書を読んでみたら、身体のことがほとんど出てこないんです。これはとてもショックでした。私のジェンダー&セクシュアリティ論は身体の知識の上に成り立っています。ですから、奥野さんにその点を読み取っていただけたのはとても嬉しいです。 ※2010年夏、都留文科大学にて後期のジェンダー論を担当予定だった先生が出講できなくなったことから、大学側が三橋さんに登壇を急遽依頼。そこで半年間の講義を受け持った。2011年、明治大学からも「ジェンダー論」講義のオファーが届き、現在に至っている。 【奥野】幼いときに医学関係のものを読んでいたところにまた戻ってきたんですね。 【三橋】そうです。私、本当は血を見るのが苦手で、長時間見ていると貧血を起こすんですよ。それもあって医者にならなかったのに、なんでまたこんなものを見せられてるんだろうと思いながらも、そこから逃げはしませんでした。