世界各地に存在する「男女に区別されない性」が当たり前にある民族
バングラデシュで仏僧になった理由
【奥野】なるほど。考えてみれば、私もそういうことはあります。小学校のときにピアノをやっていて、ピアノを習うのはどうでもよかったのですが、待合室に紀行写真集が置いてあったんです。 世界中のいろんな場所、たとえばラクダを引いているキャラバンの写真を見て「大きくなったらそんなところに行ってみたいな」と強く思っていました。そして結局、今やっているのは海外での人類学のフィールドワークです。その前には世界のいろんなところを放浪もしました。 【三橋】奥野さんの『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』を読んで、バングラデシュでお坊さんになられた話がすごく衝撃的でした。私より少し下の、まさに奥野さんくらいの世代は、青年時代に世界を放浪することが一種の流行りだったからそれ自体には驚かないんですが、「そこまで!?」と思いました。 【奥野】その前はタイにいて、日本から50万円くらい持っていったんですが、バンコクで遊びまくってお金がなくなったんです。それでバングラデシュでは仏教寺院に無料で泊めてもらっていたんですが、急性腸炎を起こして病院に担ぎ込まれました。 ところが点滴に不純物が入っていて、病状がさらに悪化したんです。結局JICAのお医者さんが来て治療してくださって命を取り留めました。 それで寺院に戻ったら「九死に一生を得たわけだし、せっかくだからお坊さんをやってみないか」と言われたんですね。大乗仏教の日本とは違って、上座部仏教は一生のうち1週間でもお坊さんになれば徳を積むことができるんです。 それで出家して1カ月半くらい修行して、托鉢をして回りながらいろいろ仏教経典を読んだことでその後仏教にも関心を持つようになりました。 【三橋】それでいうと、私が大学院生の頃、NHKで『シルクロード』(1980年)が放送された直後の時期に、自分のいた大学がシルクロードの学術調査団を組んだんです。 そう言いつつも実質はかなり観光的だったんですが、このときにチームの末席として参加しました。まだ個人や団体旅行ではシルクロード(西域)に入れない頃だったので、日本人としてはかなり早いうちにトルファンや敦煌(とんこう)に入っているんですよ。 その後、仏教とはまったく縁がないつもりだったんですが、バンコクで国際学会が開かれたときに、現地のサポート団体の代表がテレビなどで仏教を語る仕事をしている方で、お話をする機会がありました。それがきっかけで仏教とジェンダーの問題をあらためて考えるようになりました。 だから、自分から目的や連関性を持って学んだわけじゃないけれど、人生の中でたまたま勉強したり見聞したりする機会があったものが、60歳になる頃にやっとつながってきた結果がこの本なのかなと思っています。