世界各地に存在する「男女に区別されない性」が当たり前にある民族
性別二元論ではなく、多元論の世界
【奥野】これまでやってきたことの集大成、あるいは統合したような形でつくられているんですね。 【三橋】そうですね。自分としては終活の一環というイメージだったんですが、書いているとやっぱりまた別の疑問が浮かんで考え始めるんですよね。今回の本では載せられなかったんですが、世界のサードジェンダーについてもそのひとつです。 以前に出した『歴史の中の多様な「性」』(岩波書店)でアジアの性別越境文化について書いていて、中でも「インド『ヒジュラ』に学ぶサード・ジェンダー」という章は私なりの世界サードジェンダー巡りでした。 「男女」の二元論ではなく、3つ目4つ目の性、そういうジェンダーの区分がある社会が存在しますよね。奥野さんの『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』では5つの性がある事例が書かれていました。 私のサードジェンダー知識の原点になっているのは、40年以上ヒジュラを撮り続けている写真家の石川武志さんから聞いたお話や見せていただいた写真なんです。 その中で聞いた「ヒジュラは『お前は男か、女か』と聞かれると『私はヒジュラだ』と答える」という話が強く記憶に残っています。実際、アジア・太平洋のトランス当事者を集めた国際学会で、ヒジュラの「グル」(リーダー)にお会いしたこともあります。 同じく国際学会で、南太平洋のトンガ王国のファカレイティと呼ばれるサードジェンダーの方とお話をしたこともあります。近代化される以前のトンガでは、王様の右側には"政(まつりごと)"を行う大臣たちが座り、左側に"祭(まつりごと)"を司るファカレイティたちが座っていたそうです。 そういうふうに社会的役割を担っていたけれど、キリスト教徒が来て、ファカレイティはそうした場所から追い出されてしまった、と。ちょっと類型化されている部分もあるかと思いますが、その話はとても印象的でした。 欧米人や現代の日本人は男・女という二元論的な枠組みの概念を持っているけれど、実は三元論あるいは多元論的なアイデンティティを持つ人がいる社会が、南アジアや東南アジア、太平洋はインドネシアからポリネシアまで相当あちこちにあるわけです。 それに、アラスカからカナダ、アメリカ西部、中米メキシコ、南アメリカまでtwo-spirits(※)と呼ばれる人々の文化もあります。 どうやって拡がっていったのか証明はできないけれど、人類の拡散の過程、歴史のかなり早い段階からそうした文化が各地に伝わっていった。多元的なジェンダーを認める文化がかなり古くて普遍的なものであることは間違いないのではないかと考えています。 ※アメリカ大陸の先住民コミュニティの中に古くから存在した性別越境者を指す。two-spiritsは男女両方の精神を持つという意。 【奥野】そうですね。ジェンダーに関する議論に文化人類学が資するとすれば、それは「性別は2つだけではない」ということが以前からいろんなところから報告されてきたということだと思います。 【三橋】ただ、そういう研究はあるし本も出ているけれど、文化人類学に限らず学問領域ではやはり二元論がどうしても強いですよね。私は自分のことをトランスジェンダーと言っていますが、ヒジュラが「私はヒジュラだ」と言うのと同じように、本音をいえばサードジェンダーでいいんじゃないかと考えています。 一方で、現代のインドでもヒジュラ・アイデンティティをトランスジェンダー・アイデンティティに読み替えるような社会的圧力があるそうです。 さきほど話に出たヒジュラのグルの方は私と同世代くらいで完全にヒジュラ・アイデンティティでしたが、10歳くらい下の人は「自分自身は、ヒジュラ・アイデンティティとトランスジェンダー・アイデンティティとでかなり揺れている」と言っていました。 この会話は10年近く前のことですが、日本でも私より上くらいの世代は「男か女か」と言われたら「私はニューハーフ」と答えていました。 「それでなんの問題もないでしょ」と開き直っていたわけですが、それをLGBT概念で読み替えるのはかなり厄介で難しいことであり、同時に「本当に読み替えていいのだろうか」という疑問が今もあります。 ※後編に続く。 【三橋順子(みつはし・じゅんこ)】 1955年、埼玉県生まれ、Trans-woman。性社会文化史研究者。明治大学文学部非常勤講師。専門はジェンダー&セクシュアリティの歴史研究、とりわけ、性別越境、買売春(「赤線」)など。著書に『女装と日本人』(講談社現代新書)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)、『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)がある。 【奥野克巳(おくの・かつみ)】 1962年、滋賀県生まれ。文化人類学者。立教大学異文化コミュニケーション学部教授。大学在学中から世界中を旅し商社勤務を経て、大学院で文化人類学を専攻。2006年からボルネオ島の狩猟民プナンのもとで定期的にフィールドワークを続けている。著作に『はじめての人類学』(講談社現代新書)、『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』(辰巳出版)などがある。
三橋順子(性社会文化史研究者),奥野克巳(文化人類学者)