AE86の再来ともてはやされたのが不幸の始まり アルテッツァは悲運のアスリート
『頭文字D』の影響でAE86が大人気
アルテッツァと言えば、決まり文句がある。『AE86の再来』だ。知らない人のために説明をしておくと、AE86とは1983~1987年に販売された4代目カローラレビン/スプリンタートレノの型式で、手頃なサイズのライトウェイトFRスポーツとして若者を中心に根強い人気を誇る、今となっては伝説のトヨタ車だ。 AE86が販売終了後10年以上経過して話題になっていたのは、しげの秀一先生作の『頭文字D』(講談社・2024年10月現在シリーズ累計発行部数5600万部超)の主人公、藤原拓海の愛車がAE86トレノだったことの影響にほかならない。クルママンガの金字塔『頭文字D』の大ヒットによりAE86の中古相場が爆上がりするなど社会現象にまでなっていたほど。 アルテッツァはセダンだから2ドアクーペ&3ドアハッチバック(藤原拓海のAE86は3ドアハッチバック)のAE86とは根本的に違うが、トヨタが発売するコンパクトFRということで、『AE86の再来』と色めき立ったのだ。まぁ正しくは『ベストカー』をはじめとするクルマ雑誌が勝手に煽って読者を巻き込んだのだ。 トヨタは2012年にスバルと共同開発でコンパクトFRスポーツを登場させ、車名を86としてAE86へのオマージュをアピールしたのとは違い、トヨタサイドでは『AE86の再来』とはいっさい言っていない。 『AE86の再来』というフレーズがアルテッツァの命運を大きく左右することになってしまった。実車とイメージが乖離しすぎていたのだ。ではどんな乖離があったのか、具体的に見ていく。
初志貫徹できず
トヨタは、「自分たち(開発陣)が欲しくなるようなコンパクトかつスポーティなFRセダン」というコンセプトでアルテッツァの開発に着手。コンセプトキーワードは『インテリジェント・アスリート』で絶対的な速さではなく、キビキビと走り、操る楽しさが感じられるクルマを目指したという。シンプルに走りを追求したベーシックFRというキャラを目指したのだが……。 しかし、事は簡単には運ばない。アルテッツァはレクサスの初代ISとして販売されることになっていたから、BMW3シリーズ、メルセデスベンツCクラスに対抗する必要があり、プレミアム性を加味することも求められていた。 ISは直6エンジン搭載モデルしかなく、アルテッツァ用に直4が特別に用意されたスポーツモデルのため、直6よりも直4のほうが高額になっていた。 アルテッツァは、ISとの絡みもあり初志貫徹できず。どちらか一方に突き抜けることなく、スポーツセダンとプレミアムセダンのいいとこ取りをしたつもりが、最終的には中途半端なクルマになってしまった感は否めない。