夫婦不仲で授かった2人目。つわりに無関心なモラハラ夫、一方必死に支えてくれる長男に「母になってよかった」と思えた
◆戸惑いながらも踏み出した妊活への道 長男の希望を元夫に伝えると、彼は前のめりで息子の意見に賛成した。 「俺は以前から兄弟を作ってあげたいと思っていたし、そろそろ本気で考えてもいいんじゃないかな」 悪阻に苦しむのも私、産むのも私、育てるのも私。あなたは何一つ生活が変わらないんだから気楽でいいよね。そんな言葉が喉元まで出かかったが、慌てて飲み込んだ。男性が妊娠・出産できないのは、別に男性のせいではない。頭ではわかっている。でも、心がついていかなかった。 産むまで続いた悪阻、産後の体調の悪さ、1時間ごとの夜泣き、3歳まで悩んだ夜驚症。私にとって、妊娠、出産、子育ては、ふわふわとした幸福のイメージからは程遠く、常に緊張状態で悪戦苦闘の毎日であった。またあれをいちから繰り返すのか。そんな思いが胸をよぎり、己の母性の薄さを嫌悪した。 長男が幼稚園に入園してようやく、私は落ち着いてトイレに入れるようになった。急かされずに食事を楽しめるようになり、買い物のたびに神経をすり減らすこともなくなった。“1人の時間”がない。たったそれだけのことが、私にはどうしようもなく苦痛だった。しかし、本音を言い出すことはできなかった。この感覚を口にすれば、間違いなく長男を傷つける。私はそれが怖かった。 上記の感情と、長男を愛している感情は、私の中で矛盾しない。彼の存在はかけがえのないもので、私の生きる糧でもある。ただ、なぜ泣くのかもわからない生き物を抱えて、一晩中ゆらゆらと揺れていたあの頃、自分の存在があやふやになっていくような気がした。あの感覚を、未だにうまく言葉にしきれない。「母親」という名前に自分が飲み込まれていくような、私の個の存在がかき消されていくような、なんとも頼りない不快な感覚。 自分でもうまく説明できないものを、他人にわかってもらうのは不可能だ。ましてや、元夫に話したとて理解してもらえるとは思えなかった。諦め、世間体、自分の中にあるかすかな期待、長男の真っ直ぐな願い。それらが混ざり合った結果、私は2人目の妊活に臨んだ。