夫婦不仲で授かった2人目。つわりに無関心なモラハラ夫、一方必死に支えてくれる長男に「母になってよかった」と思えた
父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。 何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。 * * * * * * * ◆「弟か妹がほしい」長男が告げた願い 「お母さん。俺、弟か妹がほしい」 長男がはっきりした口調で私にそう告げたのは、彼が幼稚園に入園して間もなくの頃だった。それまで、どんなに周囲から「一人っ子は可哀想」と言われても、「それを決めるのは息子だ」と心の中で跳ね返してきた。しかし、息子本人にそう言われた時、正直戸惑った。 「きょうだいがほしい」と彼が思うに至ったのは、環境の変化によるところが大きい。幼稚園入園を機に、子どもの少ない地域を離れて、同世代が多く集まる新興住宅地を購入した。元夫の給料は安定していたため、住宅ローンの申請はあっさりと通った。妊娠当初から住んでいた地域は、子どもの数こそ少なかったものの、自然豊かな土地で私の肌に合っていた。だが、元夫にとってはそうではなく、彼は利便性の高い地域での暮らしを望んだ。2人の希望の間を取り、田舎でも都会でもない、ほどほどの利便性と自然環境を兼ね備えた住宅地を購入しようと話はまとまった。 それまで、徒歩圏内に同世代の子どもが1人もいなかった長男は、引っ越しと同時に真逆の環境に身を置くこととなった。お隣さんをはじめとして、近隣に同級生が数多く住んでいる。幼稚園にもすんなり馴染み、互いの家や公園で友人たちと遊ぶ中で、彼は気付いた。周りのみんなにはきょうだいがいるのに、自分にはいないことに。 地域性もあるのだろうが、当時住んでいた住宅地において一人っ子は珍しい存在だった。同じ幼稚園の同級生の中では、我が家のほかに1人だけ。小学生になっても、その数は片手の範囲におさまる程度だった。 「長男くんも、下(きょうだい)ができれば変われるよ!」 近所のママ友が口にする助言は、「長男は変わる必要がある」ことを暗に示していた。そういった類の言葉が、今でも吐き気がするほど嫌いだ。でも、息子本人が「きょうだい」を望んだ事実が、私の心を揺らした。