「面白みは枠があるときに見つかる」。作詞家いしわたり淳治の言葉との向き合い方
言葉の洪水の中からピックアップ
テレビを見て何かを書くことの時評的な側面を考えたときに、コラムニストのナンシー関を思い出す。くしくも両者は同じ青森県の出身だ。ただしナンシー関のコラムがしばしば辛辣(しんらつ)さをともなっていた一方で、本書は変化していく世の中をおおむね肯定的にとらえており、悪意やネガティブなワードからも距離を置いている。いしわたりといえば『EIGHT-JAM』などで披露する考察の切れ味の鋭さ、言語化の精度の高さは広く知られるところだが、ここでは言葉へのもっとラフな好奇心とそれを無責任に楽しむ姿勢のほうが追求されていて、何となく読者に問いかけ雑感を述べるぐらいの流れですっと筆を置いたような結びが心地いい。 いしわたり:書くときは全部見切り発車なんですよ。日頃耳にする言葉の洪水の中から気になったものをメモしておいて、締め切りが近づくとピックアップするんですけど、見直してもなんでその言葉が気になったのかはわからない。後から考えながら、つまりこういうことなのかもなと思いついて書いている感じです。飲み会で話題にして盛り上がりそうなもの、みんなで好き勝手に話せるようなことを書く、という基準は根底にあるかもしれないですね。 ―必ずしも答えを出さなくていい、何かを持ち帰らなくてもいいんだというのは、逆に豊かに感じられます。冒頭の書き下ろしコラム「暇つぶし」は書籍が初出になりますね。 いしわたり:書籍の形になると内容が期限にとらわれないので、タイムレスなものを一つ載せたいなと思ったんです。今は暇つぶしという概念自体が多分この世から消え始めているんですけど、暇というもののとらえ方は永遠のテーマだろうなと思っていて。暇って正義のようでも悪のようでもあって、暇がないと個性も育たない。やらなきゃいけないことをやっている間はそれをする人に代わりがいるけれど、暇なときに何をするかはその人でしかないと思うんです。 ―登場する言葉の中で気になった一例を挙げると、「顔見たいから、服見てない」というワードのチョイスには参りました。 いしわたり:『テレビ千鳥』で千鳥の大悟さんが残した発言ですね。広瀬すずさんの顔が見たすぎて何を着ていたかは全然覚えていないという。 ―さらにこの言葉から「服ではなく印象を買っている」という着地点にたどり着くとは……! いしわたり:そうなんですよ。今まで「服」を買っていましたか? 僕は「印象」しか買ったことがないです。 ―まさにクローゼットを開けると同じような色の似たような印象の服ばかり並んでいて、そのことにどこか後ろめたさを感じていたのですが……。 いしわたり:こいつ冒険しないな、みたいに。 ―はい。なので「すでに持っている服がくたびれてしまっているのなら、いくら似ていても「清潔感」という印象をあらためて買い直さなければならない」という考え方にはかなり救われています。 いしわたり:よかったです(笑)。