「伝統的酒造り」無形文化遺産、喜ぶ一方で…「酒ゴジラ」なぜ憂う?
「伝統的酒造り」が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。その技術継承の一翼を担う日本酒造杜氏組合連合会の石川達也会長(60)は、江戸時代に発達した「生(き)もと」と呼ばれる酒造法など伝統的酒造りへの造詣が深い。元プロ野球選手の松井秀喜さんに似ていることから、業界で「酒ゴジラ」などの愛称があり、普段はユーモアたっぷりの石川氏だが、伝統的酒造りの技術の継承や人材の確保の先行きの話になると厳しい表情に。その憂いの原因は何なのか。【聞き手・植田憲尚】 【写真まとめ】「酒ゴジラ」と呼ばれる日本酒造杜氏組合連合会の会長 ――「伝統的酒造り」が無形文化遺産に登録された。 ◆登録は喜ばしいことですごい追い風になると思うが、私の立場としては、「登録されたら万々歳」でおしまいにしたくない。認められたのは日本酒や焼酎などお酒そのものではなく、あくまで伝統的な酒造りの技術や文化だからだ。 伝統と一言で言っても、広義と狭義に分けて考えないといけない。広い意味で日本の酒造りは日本の伝統文化と言えるが、遺産として後世に伝えるべきものは結構狭い。業界としては関係者みんなが受け入れられる広い意味での方を訴えたいだろうし、否定はしない。ただ今後の保存・継承活動で言えば、狭義の方をきちんと見ておかないと日本の酒造り自体は続いても、残さなければならないものが消えていく可能性があるだろうと思っている。 ――その理由は。 ◆伝統的酒造りは無形文化遺産登録に先立つ2021年、国の登録無形文化財に登録されており、その時に定義を決めている。例えばその一つに、「こうじは機械で造らず手作り」と定めている。その範囲には、伝統的な蓋(ふた)こうじ法と呼ばれる手法だけでなく、現代で普及している効率・大規模化した箱こうじや床こうじ法も含まれている。 広義の伝統ならそれでいい。一方で先人が培った知恵の結晶としての伝統と言うなら、蓋こうじしかないというのが自分の考えだ。ただ現在の酒造業界では、修練が必要で手間もかかる蓋こうじは全く流行っていないし、このままでは絶滅するかもしれない。 コスパ(コストパフォーマンス)とかタイパ(タイムパフォーマンス)が国を滅ぼすと私は普段から主張しているが、訓練がいらず、マニュアル化できるものが伝統と言えるだろうか。伝統を継承しようと思ったら、体で覚えることが必要だ。 ――狭義の伝統的酒造りの技術を継承する上での課題は。 ◆継続していくのは相当厳しい。本来、酒は嗜好(しこう)品でなく、日本人の暮らしに根付いてきた必需品だと思っている。ただ、手間暇がかかるということは、コストがかかる。実際なりわいにしようと思ったら、大量には造れないし、安くはできない。 ブランド品のように高付加価値がついてセレブが買えば商売としては成り立つかもしれない。そうなると、必需品としての酒でなく、単なるファッションの一部になってしまう。難しい問題だ。こうしたら良くなるという話は軽々に言えないのが現状だ。 ――継承には人材が必要だが、酒造業界も人手不足だ。 ◆個々の酒蔵については、待遇面を急に改善しろと言っても無い袖は振れないのは仕方ない。でも、世間一般と比較して高待遇を示せなくとも、本気で酒造りをやれる蔵なのかが働くモチベーションとして大きいと思う。今の若い世代でも本気でものづくりに挑戦したい人は少なからずいる。狭義の伝統的な酒造りは一つの選択肢になる。 業界全体の話になると、人材を一つの蔵だけでなんとかしようとするのはもう難しいだろう。酒蔵のほとんどが中小零細企業で、個々の酒蔵だけで次の世代が入るサイクルを作っていくのは無理だ。今後は酒蔵の横のつながりで人を融通し合う必要があるだろう。 現状は総論賛成、各論反対だ。「業界全体で人を育てないと回らなくなりますよ」と酒蔵の経営者に言うと、「それはそうです」と答えが返ってくる。ところが「それなら、おたくの蔵がまず率先してやりませんか?」と向けると、「それは無理です」。 限られた優秀な人材を外に出すのだから、ためらいがあるのは理解できる。ただ業界や酒蔵を一つの生命体と捉えるなら、新陳代謝が無いと維持・発展はできない。私も今、茨城県の月の井酒造店の杜氏(とうじ)として在籍しているが、自分が後の世代の重しになって流れをせき止めてはいけない。ある程度の技術継承の道筋が付けられたら、自分は退かないといけないと思っている。 ◇生もと造り アルコール発酵を担う酵母菌が円滑に活動できるよう、乳酸菌などの力を借り、酵母菌の妨げになる菌が繁殖できない環境を整える手法で、江戸時代に発達。現在の主流で乳酸そのものを添加する造りに比べて時間も手間もかかるが、味わいに幅や奥行きが出る。 ◇蓋こうじ法 こうじ蓋と呼ばれる木製の小箱にこうじを小分けにして盛り、それらを重ねて造る方法。温度・湿度面できめ細やかな管理ができるため目標とするこうじを造りやすいが、そのために数時間おきに膨大な数のこうじ蓋の位置や場所を変える必要があり、関連する手作業やタイミングの見極めには修練を必要とする。