『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった
◆『源氏物語』を執筆した経緯 さて、今回は、紫式部が『源氏物語』を執筆した経緯について考えてみたいと思います。 前回も書いたように、紫式部は、一条天皇の中宮・彰子が教養や美意識を磨くための家庭教師のような存在でした。 紫式部が選ばれた理由について、「宇治市源氏物語ミュージアム」館長で学芸員でもある家塚智子さんに、お話を伺いました。 「紫式部のような教養のある女房を置いて、中宮の後宮を知的で文化の薫り高いものにする。文化に通じた一条天皇ならば、そんな“彰子サロン”を居心地の良い場所だと感じて、彰子にも関心を寄せてくれるだろう。父である藤原道長は、そう考えたのです」 その策が功を奏し、紫式部が出仕してから数年後に彰子は懐妊。のちの後一条天皇となる皇子を出産します。天皇と外戚関係を築き、自身の権力を盤石なものにする。そんな道長の野望を、紫式部が陰ながら支えたわけです。
◆紫式部の重大な役割 『光る君へ』のなかでは、道長は紫式部(まひろ)の想い人であり、ソウルメイト。そこで道長のために、その成功を手助けしようと考えたのでしょう。 紫式部のもうひとつの重大な役割は、『源氏物語』の執筆でした。物語好きの一条天皇が『源氏物語』読みたさに足繁く彰子のもとを訪れる――それによって懐妊を早めるというのが道長の狙いだったのです。 宮仕えでありながら、「物語を書くことも職務のうち」というのも、現代人の感覚ではわかりにくいところ。ましてや、その物語が天皇の気を引くための強力な武器になるというのです。 正直、「えっ?なんで物語が?」と思ってしまいますが、平安時代の王朝文化では、それが当たり前のこと。 『紫式部日記』のなかの「冊子(そうし)つくり」に関する記述を読むと、天皇の寵愛を得るための手段として、物語がいかに重要であったかがわかります。 実家で敦成(あつひら)親王(のちの後一条天皇)を出産した彰子が宮中に戻るための準備をするなか、内裏への土産として、『源氏物語』の冊子を制作することが決まります。色とりどりの紙を選び、そこに物語を書き写したり、清書したものを綴じて冊子にしたり……。こうした一連の作業を紫式部が統括することになったのです。
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