『光る君へ』中宮という高い地位の彰子に教養を授けた紫式部。続きが読みたくて道長が下書きを盗んだ『源氏物語』は帝への特別な贈り物だった
◆パロディなども生まれていた 執筆から1000年経っても色褪せることのない『源氏物語』の魅力。 それがさまざまな芸術作品に影響を与え、二次創作、三次創作を生み出してきたと、「源氏物語ミュージアム」の家塚館長は語ります。 「平安時代末期には既に注釈書のようなものが記され、その後、あらすじだけをまとめた梗概書や、今でいうパロディなども生まれたそうです。現代の私たちが、ネット上でドラマの“考察合戦”をするように、独自の解釈や読み解き方をする人が次々に登場したのです。 たとえば、日本書紀に出てくる悲劇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ/応神天皇の皇子だが、兄に皇位を譲るため自害した)が八の宮(「宇治十帖」に登場する光源氏の異母弟。その姫君たちと薫や匂宮との悲恋が物語の中心となる)のモデルだという“考察”は、鎌倉時代の注釈書に書かれています。 それが受け入れられ、時代を経ていつのまにか定着して、宇治といえば「憂し」、つまり、「憂いを帯びている」というイメージが再生産される。そして現代の私たちも、宇治上神社を見ると八の宮の住まいを連想してしまうわけです」
◆先人の“考察”や解釈 現代の私たちが原文で『源氏物語』を読むことはかなりハードルが高いわけですが、昔の日本人にとっても決して読みやすいものではなかったということ。そのため、わかりやすい解説書などが、当時から出回っていたと知り、いにしえの人々に親近感がわきました。 また、私たちがよく知っている「夕顔」「末摘花」といった登場人物の呼び名も、後世の読者がつけた「あだ名」なのだそうです。というのも、『源氏物語』の原本に人物の名前はほとんど書かれていないため、ストーリーを理解しやすいように、誰かが仮の名前をつけ、それが定着したということのようです。 もちろん、登場人物などのモデルに関しても、これまでにさまざまな説が生まれたはず。 たとえば、菟道稚郎子を祀る宇治上神社には、「政局に巻き込まれた不遇の皇子・八の宮が、都を離れて姫君たちと隠棲する」という物語の設定にぴったりで、私たちも「なるほど!宇治上神社が八の宮邸のモデルに違いない」と納得してしまうわけですが、実際のところ、作者である紫式部がどのように考えていたのかはわからないのです。 しかし、先人の“考察”や解釈によって宇治上神社や宇治のイメージが人々に共有され、宇治観光の楽しみ方が広がったということ。そんなことも頭に置きながら宇治を訪ねるのも、おもしろいのではないでしょうか。
SUMIKO KAJIYAMA
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