ブラジル日系社会『百年の水流』再改定版 (5) 外山脩
榎本武揚
話は再び若宮丸の水主のデステーロ寄港の頃のことになるが、その数年後の一八〇八年、ブラジルでは、ポルトガルから国家そのものが亡命してくる━━という一大変事が起きた。 本国がナポレオンの侵攻を受けたためで、王族、貴族、役人、軍人などから成る大亡命団であった。人数は一万数千人ともいうし、数千人ともいう。 十三年後、ナポレオンが没落、王族はポルトガルへ帰った。その時、皇帝は長男ドン・ペドロを摂政として残し、植民地ブラジルの統治権を与えた。 そのドン・ペドロは翌一八二二年、独立を宣言、君主制を布き帝位につく。しかし九年後に退位、彼もまたポルトガルへ帰った。 以後、執政府時代を経て一八四一年、ドン・ペドロ二世が帝位を継承した。同皇帝の在位は長く、半世紀に及ぶことになる。 その在位中の一八六七年、一隻の日本軍艦が首都リオ・デ・ジャネイロに寄港した。幕府がオランダから購入した開陽である。これに榎本武揚が乗船しており、十一日間滞在した。(リオ・デ・ジャネイロは以下、リオと表記) 榎本は日本に帰国後、幕末の争乱の中で、海軍副総裁に任ぜられる。しかし、その幕府はすでに崩壊中で、官軍の攻撃を前に降伏を決定する。 が、榎本はこれに従わず、艦隊を率いて脱走、蝦夷地へ至り、独立政府を樹立、新天地の開発・経営を企てる。官軍はこれを許さず、いわゆる函館戦争が起こる。 榎本は破れ降伏するが、新天地への夢は忘れることなく、それを二十年以上も後に、海外への移民事業として具体化する。その対象国の一つとして浮上してくるのが、彼がかつて立ち寄ったブラジルなのである。(つづく)