「いつまでここにいられるのか…」能登半島地震から8カ月 大学生が初めて知った被災地の現状と課題
■大学生が被災した人と向き合う 胸に抱えた思いを吐き出す人も…
今月、夏休みを利用して新谷さんたちゼミ生は、能登に向かいました。ボランティア活動をしながら、被災地の現状を「取材」するためです。 【吉椿雅道さん】「すでに輪島とか、珠洲で孤独死が出てて、仮設でね」 同行してくれたのは、被災地支援のプロ、CODE海外災害援助市民センターの吉椿雅道さん(56)。 阪神淡路大震災のときに初めてボランティアに参加。その後も、国内外の被災地で支援活動に取り組み、能登へも、地震の翌日から10回以上、足を運んでいます。
吉椿さんの活動の1つが仮設住宅での足湯ボランティアです。そこで学生たちは、初めて被災した人と向き合いました。 【関西大学の学生】「初めてなんで、うまくできてなかったらすいません」 足湯につかりながら、手をもみほぐします。 【関西大学4年 新谷和さん】「金沢のどの辺なんですかご実家は?」 【被災した人】「本籍は金石です」 【関西大学4年 新谷和さん】「金石、結構海の近く」 【被災した人】「昔は、家の裏が海だったんで、パンツ一枚で海に走ってました」 【関西大学4年 新谷和さん】「いいな~私、田んぼしかなかったんで」 ほっとするひと時に、笑顔が広がります。
気持ちがほぐれ、胸に抱えた思いを吐き出す人も…。 【関西大学の学生】「仮設で3人暮らし?」 【輪島市で被災した人】「私の部屋は息子と2人」 【関西大学の学生】「狭い?」 【輪島市で被災した人】「義理の娘が地震で死んだやろ、屋根の下になって、出遅れてね。初めてや、歳になって初めて。今まで幸せやったけど」
■公費での解体完了は来年10月予定 なかなか進まない現状
輪島市を訪れると、倒壊した家はまだそのまま残されています。 一方で、家が撤去され、更地になった場所では、かつての日常に思いをはせるしかありませんでした。 更地になった場所を見つめる親子に話を聞きました。 (Q.ここが跡地?) 【家が撤去された人】「そうや、ここね」 (Q.いつ解体されたんですか?) 【家が撤去された人】「きょう終わってん」 (Q初めて来られた?) 【家が撤去された人】「毎日来とるげん、(母が)「家帰りたい」って言うさかい…分らんさかい、すぐ忘れる」 (Q.いま一番不便と思っていることとか、困っていることとかありますか?) 【家が撤去された人】「先が見えない」