「いつまでここにいられるのか…」能登半島地震から8カ月 大学生が初めて知った被災地の現状と課題
能登半島地震からまもなく8カ月。 映像制作を学ぶ大阪の大学生が、「取材」を兼ねてボランティアに向かいました。現地に行って初めて知った、被災した方の現状と先の見えない不安とは…。 ■【動画で見る】「のんちゃんが嫁に行くまで生きとらんな」孫が目の当たりにした祖父母の『先の見えない』苦しみ 跡形もなくなった思い出の場所 地震に奪われた日常
■能登半島地震の被災者の話に聞き入る大学生
石川県珠洲市にある仮設住宅の談話室。 【珠洲市で被災した人】「家と納屋と全壊、潰れちゃった。お父さんが、がれきの下敷きになって。パニックになってどうすればいいかわからんもんで、家の周りぐるぐるぐるぐる回ってたんだけど。何とかお父さんも無事で助かって」 ボランティアに訪れた関西大学の学生たちが被災した人の話に聞き入っていました。 【珠洲市で被災した人】「(自宅の)解体を待っている。解体しても家なき子なんで、どこ行こうか。定まらないですね、どうしたら一番いいのか。自分らでもわからないです」
■阪神淡路大震災のドキュメンタリーを作る大学生が能登半島地震で被災
能登半島地震からおよそ8カ月。 被災した人のほとんどは、避難所から仮設住宅へと移り住み、生活を立て直そうとしています。 元日に起きた地震と津波。多くの人の命や、大切な日常が一瞬にして奪われました。 関西大学社会学部の映像制作を学ぶゼミでは、去年から阪神淡路大震災について取材し、ドキュメンタリーを作っています。 そんな矢先に起きたのが、能登半島地震でした。 【関西大学 齋藤潤一教授】「ことしは年明けから、非常に大きな地震があって、新谷さんに当時の話を情報共有という形で、お話してもらいたい」 【関西大学4年 新谷和さん】「スマホが緊急地震速報のアラームが鳴って、もうすごい、ガーっと揺れ出して、何もできずに、机にへばりついていたんですけど」
3回生だった新谷和さん(22)は、金沢市の実家で家族と正月を過ごしているさなか、地震に見舞われました。 けがはなく、津波警報が出されたため、石川県庁に避難しましたが…。 【関西大学4年 新谷和さん】「祖父母が能登の穴水町に住んでて、それが心配でみんな。電話したんですけど、つながらなくてみんな。まだその時は無事かどうかが、分かんない感じやって」 その後、無事が確認できた祖父母でしたが、家は住めない状態になり、金沢に二次避難してきたのですが、新谷さんは会えずにいました。 【関西大学4年 新谷和さん】「大阪に戻ってきちゃったんで、(祖父母と)入れ違いみたいになっちゃって、会えてなくて。会いたいですね」