持続可能を目指したケーキカフェ「レ・フィーユ」(大阪・天王寺)菅原大シェフの挑戦とは?
カフェ経営に向けた“通過点”。マフィン専門店で独立した理由とは?
菅原さんは辻製菓専門学校に通いながら「パティスリーアルモンド」(大阪・天王寺)でアルバイトを始め、卒業後はそのまま就職。3年勤めた後フランスへ留学し、フランスのお菓子文化に衝撃を受けたそうです。「日本だとケーキは特別な時に食べるものって感じだけど、フランスではお菓子が歴史や文化、日常に溶け込んでいます。ケーキ屋さんに毎日行くのが当たり前なんですよね」ーー当たり前のように、お菓子がそばにある。これが菅原さんの目指している理想だそうです。帰国してからは。「菓子工房オークウッド」(埼玉・春日部)で約8年勤務。美容室を営んでいる実家の隣の物件が空いたと聞いて、独立を決意。29歳で地元・大阪に戻ってきたそうです。その時に選択したのはパティスリーでもカフェでもなく「マフィン専門店」の開業でした。理由は2つあり、一つ目は「大阪では他になかったから」。ドーナツのように誰もが一度は食べたことがあるお菓子の専門店は、住宅街にマッチしていたそうです。二つ目は、「生産性が良いお菓子だから」。しばらくは製造も販売も自分一人…少しでも効率よく製造を、と考えマフィンを選んだそうです。「マフィンはパサパサした食べ物のイメージがあると思います。確かに単に材料を混ぜて焼いているだけでは美味しくない。でも製菓の技術をしっかり組み込んでいけば、美味しいものに仕上げられる自信はありました」マフィンは1個あたりの生地量が多く、フレッシュフルーツを混ぜ込んで焼くことができるそう。そんな焼き菓子は少ないとのことで、例えばフィナンシェやマドレーヌだったら水分量が増えすぎてしまいます。バリエーションを広げやすいことも、マフィンの利点です。しかし、菅原さんにとってマフィン専門店での独立は通過点の一つ。開業時にはすでに「les feuilles(レ フィーユ)」のようなケーキカフェ業態での経営を視野に入れていたそうです。「僕がまだ幼い頃、この場所には純喫茶がありました。おつかいでミックスジュースを買いに行ったりしたこともあって、思い出の場所です。自分が大阪に戻ってきた時には、マスターご夫妻はもう高齢で、引退も考えていたんです。でも地元の方の憩いの場所は無くしたくない、という想いがあって、閉店したら僕が買い取ると決めました」いずれやってくる思い出の喫茶店の閉店。それまでにマフィン専門店で資金を蓄え、地元での認知度を上げ、経営の勉強をしようと決めたそう。喫茶店の閉店が決まったのは、その4年後です。