「100年に1人の天才」でも「最新のAI」でも解けない…使うのは+×÷だけなのに世界中の数学者が敗北した難問
■きっかけは学会の休憩時間での雑談 ここでちょっと、コラッツ予想の歴史を紹介しましょう。 「コラッツ予想」という名前ですから、当然、数学者のコラッツさんが生みの親です。その名は、ドイツの数学者ローター・コラッツ。 ただし、実はコラッツ自身は、コラッツ予想について正式な研究成果は残していません。したがって、論文も一本もありません。彼のコラッツ予想に関する発表といえば、80年代に自分の思い出話をつづったエッセイくらいしかないようです。 では、どうやってコラッツ予想は広まったのでしょうか。 広まるきっかけとなったのは、1950年、アメリカで開かれた数学の学会。そこで、コラッツがこの予想を発表……したわけではなく、学会の休憩時間に他の数学者に世間話のように話し、そこから広まったと言われています。 当時、それを聞かされた数学者たちの反応はどうだったのか? 残念ながら記録が残っていないのでわかりませんが、おそらく、そこまで難解な問題だとは、誰も思わなかったのではないでしょうか。 見た目は小学生でもわかるほど簡単な問題。高度な計算力もいりませんから、つい解きたくなってしまいます。しかしその一方で、どこから手を付ければ良いかがわからない不思議な問題として、じわじわと世界に広まっていくことになりました。 ■「人生を棒に振りかねない危険な難問」 数々の有名数学者がコラッツ予想に挑みました。例えば、スタニスワフ・ウラム。東西冷戦の最中、アメリカで核兵器の開発に取り組んでいましたが、コラッツ予想に夢中になってしまいます。しかし、何の結論も導くことができませんでした。 アメリカでは「コラッツ予想は、アメリカの研究を遅らせるための陰謀ではないか」というジョークが生まれるほどでした。 やがて数学者たちは「のめり込むと人生を棒に振りかねない危険な難問だ」として、この問題を敬遠するようになりました。そして今では多くの数学者が「敗北宣言」を出すほどの超難問として恐れられています。 では、この超難問「コラッツ予想」は手つかずのまま放置されているのでしょうか。いえ、そうではありません。それでもなお諦めない数学者たちがある種の「妥協」を行うことで、コラッツ予想の牙城を切り崩そうとしました。