「辛かったことも嫌だったことも花火みたいに爆発させたい」最注目作家が愛おしむ人生のハイライト
どれだけ辛い人生に見えたとしても、幸せだと思っていたい
――「映画を撮ってる気持ちで生きてる」という通り、伊藤さんの文章からは、人生の特別な瞬間を言葉で永遠に定着させたいという強い意志を感じます。恋愛に限らず、永遠に変わらないものはないからこそ、何もなかったことにはしたくないという執念にも近い。 女の人って蛙化現象じゃないけど、なんであんな人を好きになったんだ? みたいに考える人が多いですよね。でも、私は別れたからといって、はい終わり、はい嫌い――みたいには思えない。恋の部分は終わっても愛情がなくなるわけではないし、過去のことでも自分の中では終わってないんです。だから、実際に泣きながら書いたりもしてます(笑)。 ――過去の出来事を自分の言葉でなぞってゆくことは、自分の人生に道筋をつけてゆくことでもあります。 幸福な人生のためには、自分の選択を後悔しないことが大事だと思うんです。あとがきにも書きましたが、今回の『存在の耐えられない愛おしさ』というタイトルは、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』という小説から取ったものなんですが、その小説はニーチェの永劫回帰思想――どれだけ辛いことがあった人生でも、その中で一度でも震えるような喜びがあったなら、その人生はいい人生だといえる、みたいな考え方――を元に書かれたもので。 小説の最後には「その悲しみは、われわれが最後の駅にいることを意味した。その幸福はわれわれが一緒にいることを意味した。悲しみは形態であり、幸福は内容であった」(ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』(集英社文庫)p.395)という文章が出てくるんです。その「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」ということこそが、私が最終的に書きたいことかなって。 よく「人生は近づけば悲劇、離れたら喜劇」というけど、自分って可哀想って思ってるときの自分はおもしろくないし、嫌いなので、他人からどれだけ辛い人生に見えたとしても、幸せだと思っていたい。そこはほとんど意地です(笑)。