「辛かったことも嫌だったことも花火みたいに爆発させたい」最注目作家が愛おしむ人生のハイライト
反響を生んだエッセイ「パパと私」
――学生時代について、エッセイでは「いつも集団の外にいた、性格的にも容姿的にも弾かれていた」と書かれています。集団にすんなりなじめるタイプだったら、文章を書く方向には向かっていなかった? 集団になじめた世界線の自分がちょっと想像できないんですけど(笑)、小さい頃から声が小さくて何言ってるかわかんないと言われていたし、誰かと喋ってすぐに通じ合えるような人間だったら文章は書いてなかったと思います。 ――伊藤さんを世に知らしめた「パパと私」は「パパと会わなくなって7年経った。死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。喧嘩をしたからだ。」という冒頭から独特のインパクトを放っています。愛がなくなったわけではないけれど一緒にはいられない。家族って誰にとっても程度の差こそあれ、厄介で面倒なものでもあるからこそ、伊藤さん家族のエッセイは「セネガル人で破天荒すぎるパパ」という特殊性を超えて、多くの人の共感を集めたのだと思います。 「パパと私」が多くの人に共感してもらった理由が、私にはいまだによくわかってなかったんですけど、実はみんないろいろあるということですかね。特にお父さんと娘って、誰しも何かしらあると思います。 ――家族のことを書くのは抵抗なかった? 私的には大丈夫だったんですが、問題は家族がどう思っているかですよね。今のところは大丈夫だし、パパはまだ書かれていることを気づいてすらいないけど(笑)。 ――伊藤さんの「パパ」は書きようによっては「悪人」にもなり得る人だと思うのですが、伊藤さんの淡々とユーモア溢れる語り口が、彼を「憎み切れないろくでなし」として読ませています。ヘヴィで悲しい出来事ほど、ユーモアをもって語りたいという思いはありますか? 昔から可哀想みたいに思われるのが嫌だったというのは、すごくあるし、無神経な発言をして友達にひどいと言われちゃうことが多くて、人よりも傷付くことに鈍感な部分があったから、大半のことは笑い話にできるんだと思います。 普通に生きてるだけでめちゃくちゃ悲しいことはあるんですけど、過ぎてしまえばある意味、自分とは関係ないことになってしまうので。