「かつては普通の生活商店街だった」――横浜中華街165年の歴史を辿る
イケイケだったバブル期と、横浜中華街の店ならではのリアル
呉さんいわく「特にバブル期には横浜中華街全体がイケイケ」だったようですが、バブル崩壊後、その余波が1年ほどの時差を置いて横浜中華街にもやってきます。 「バブル期は『中華街大通りに店を構えてさえいれば、未来永劫潰れることはない』と言われ、実際うちの店でも開店から一瞬で満卓になるような状況でした。売り上げはどんどん上がっていきましたが、バブルが崩壊して1年くらい後から、客足が遠のくようになり、徐々に徐々に売り上げが下がっていきました。 ただ、壊滅的な状況にはならず、言わばバブル期のイケイケ以前の状況に戻った程度だったとも。長年、この地で苦楽を経験してきた華僑の強さのようにも映りますが、しかし呉さんはここで商売人としての堅実かつ冷静な話をしてくれました。 「バブル崩壊で経済的には確かに悪くなった時期でしたが、すでに観光地として支持を集めていたこともあり、決定的な打撃があったわけではありません。 でも、よその街の経営者の方と交流するようになり、こういった方々が横浜中華街に来てこう言うんです。『横浜中華街はいいですね。平日の午後でもこんなにお客さんが歩いてるんだから。私たちの街なんて、この時間帯に人が歩いてることなんかないですよ』と。 それを聞いて僕は『なんて恵まれた環境で商売ができているんだろう』と思うと同時に、ここで商売をコカすことがあれば、まず他のどこで商売をやってもダメだろうと。そして、この恵まれた立地で商売をしているのだから、さらに『自分の店に来てもらえるような努力』をすれば、他の街よりも効果が出やすいわけです。だって、『横浜中華街に行きたい』という人はすでにみんなの中にあるわけですからね。 でも、努力をせずに営業を続ける店もあれば、『単に価格を下げれば良い』と考える店もあります。こういったことを繰り返せば、長い目で見ればやがて横浜中華街に人は来なくなります。そうではなく、横浜中華街各店それぞれのやり方で良いので、日々努力を続けることで、さらなる未来が開かれるんじゃないか……そんなふうに僕は考えています」(呉さん)