バガヨコはナイフで腕を刺され、カヌーテは体中殴打…セイドゥ・ケイタがマリ代表と平和のために成した勇気ある行動
運命の女神は冷酷にもケイタに背を向けた。だが…
翌日、赤道ギニアの首都マラボのホテルに両国のサッカー連盟の代表者を招集し、抽選によってガーナが待ち受ける準々決勝の進出チームを決めた。マリ代表のヘンリク・カスペルチャク監督とギニア代表のデュスイエ監督がこの方法に激怒した。アフリカ大陸における最高峰のスポーツ大会において、国の存続と同じくらい重要なことを抽選箱に入ったボールで決めるなど言語道断だ。 特にこの物語の主人公が置かれた立場を考えると悲痛なものがあった。 PKを失敗したことが短剣のようにぐさりと記憶に突き刺さったまま、ケイタはまだマリ代表として続けられるかどうかを運命の手に委ねていた。個人の栄光よりも国民の安寧を常に優先してきた紳士、ヨーロッパのクラブではすべてを手にしたものの、自分のルーツを忘れるどころか、力ある立場を利用して同胞たちに対する正当な扱いを訴え続けてきたサッカー選手のキャリアがだ。 だが運命の女神は冷酷にもケイタに背を向けた。抽選の結果、ギニアの決勝トーナメント進出が決定した。サッカーとマリ社会に大きく貢献してきた、アフリカの偉大なる大使は国際舞台から引退した。 自らの特権的立場をいかして、母国マリの様々な状況を変えようと尽力してきたサッカー選手の黄金期の終幕は栄光に満ちたものとはならなかった。しかし、ケイタが〝イーグルス〟に残した足跡はとても大きい。ペップ・グアルディオラ監督率いるバルサで活躍したが、目標を見失うことはなかった。自分が今どこにいて、そしてとりわけどこへ行きたいのか知りたい時は、今の自分が形成される元となったルーツを思い出してみればよい。ケイタは、歩いた先々 で教訓となるような素晴らしい言葉を残した。このことから、ケイタが偉大なサッカー選手だったということだけではなく、いつも先を見据えていた男という人物像も浮かびあがってくる。 マリでは、社会的大義に関わり、最高指導者たちと向き合い、2つに分裂した国で平和を求めて戦い続けたことにより、伝説の人となっている。新世代の人々にとってのお手本だ。 (本記事は東洋館出版社刊の書籍『不屈の魂 アフリカとサッカー』から一部転載) <了>
[PROFILE] アルベルト・エジョゴ=ウォノ 1984年、スペイン・バルセロナ生まれ。地元CEサバデルのカンテラで育ち、2003年にトップチームデビュー。同年、父親の母国である赤道ギニアの代表にも選ばれる。2014年に引退し、その後はテレビ番組や雑誌のコメンテーター、アナリストとして活躍。現在は、DAZN、Radio Marcaの試合解説者などを務める。
文=アルベルト・エジョゴ=ウォノ