些細なことで愛は憎しみに変わる…40代女性が告白「祖母の死をずっと願っていた」深刻なワケ
祖母の介護のために離職させられた
スカートも禁止、ピンクや黄色も禁止。フリルやリボンが付いたかわいらしい洋服を着ることも禁止されていた陽子さん。 「髪の毛もスカートもそうですが、色気付くと不良になるから、って理由でした。あまりにも理不尽ですよね」 弟とのあからさまな差別も陽子さんを苦しめた。 「祖母にとって家を継ぐ長男である弟を一番大切にしていました。欲しいものは何でも買い与えてくれて、要求はすべて飲んでいました。弟を怒ることもなかった。そのため、弟はわがままで、やりたい放題に育ちました」 なにかにつけては「〇〇は跡継ぎだから」「長男だから」と祖母は繰り返した。陽子さんには「いつか嫁に行って家を出ていく。そのためにも必要だ」などと言って、物心つく頃から祖母とともに寝起きさせ、家事全般を手伝わせていたという。 「祖母は厳しかったですが、禁止されていたもの以外は漫画とか、おもちゃとか、欲しいものは買ってもらえました。それに私だけ旅行に連れて行ってくれたこともありました。うちはみんな働いていたし、周囲の家でもお手伝いは子どもの当たり前の仕事だと思っていました」 成長するにつれ反発することはあっても、祖母へは愛情をもって接していた、という陽子さん。だが、祖母が陽子さんを気にかけたのは「従順な孫を育てるためだったのではないか」と推測している。 それに気が付いたのは、祖母の介護を強要されたときのことだ。 「私が短大を卒業し、就職してしばらくすると祖母は倒れてほぼ寝たきりになりました。当時は近くにデイサービスもなかったですし、そもそも福祉サービスを使うこと自体、『恥ずかしい』って言われていました。家族での介護が当たり前。弟は大学進学で県外に出ているし、両親も仕事がある。家族で祖母の介護ができるのは私だけでした」 そのため、念願だった保育士の仕事も辞めさせられた。団体職員をしていた父親は母親にも祖母にも頭が上がらずいつも言いなりになっていた。陽子さんの母親は、といえば祖父母との折り合いが悪く、祖父の死後は祖母とほとんど口をきかなくなっていたという。