どうなる?今日にもJBCが井岡一翔タトゥ―問題の処分決定
今回のタトゥー問題を巡っては、ボクシング界だけでなく他分野の人々がSNSなどを使って意見を発信するなど一種の社会問題化した。様々な問題が指摘され、処分を受けて議論が再燃する可能性もある。ダウンタウンの松本人志氏が忌憚のないコメントをすることで人気のテレビ番組「ワイドナショー」でも、この問題が取り上げられていたが、この番組が象徴するように、いくつかの問題点がごちゃごちゃになって議論されており、JBCの処分内容を評価する際には、問題点を整理して考える必要があるだろう。 ひとつ目は、たとえ「厳重処分」レベルの軽いものであったとしても処分すべきかどうかという問題だ。実は、井岡のタトゥー問題に関しては、試合を統括するJBCは神経を尖らせており前日計量の段階で「タトゥーを隠す措置はしてくださいよ」と念を押している。試合当日も、グローブ及びバンテージのチェックがあって、JBC職員が井岡陣営の控室にいて、ファンデーションを塗る措置についても確認している。もし、その量や塗り方、隠し方に問題があったのであれば、その場で塗り直しを命じてからリングに上げるべきだったのではないか、という議論がある。つまりJBCがタトゥーを隠す措置をしたことを確認してリングに上がることを許可したのだから、結果論で処分の対象にするのはおかしいのではないか、という意見だ。それでも処分する場合は、そのJBC職員に判断能力が欠けていたということにもなるが、井岡側からすれば納得できない問題点だろう。 だが、それらは、あくまでもJBC内部の問題であり結果としてタトゥーが丸出しになり、それがルールに抵触している以上、処分を下すことは当然だとの意見もある。 もうひとつの議論は、そもそものルール問題だ。この問題にも、現状のルールの適用実態についての矛盾をどう考えるのかという問題と、ルールそのものの撤廃を考えるべきではないかという議論をごっちゃにせずに分けて考えなければならない。 現在、日本のリングに上がる外国人選手に関しては、このルールの適用が除外されている。しかも、日本のジムに所属している外国人選手についても宗教上、文化的理由からタトゥーを隠さずリングに上がることが黙認されている。このあたりのルールの適用解釈を今後も続けていくのであれば、ルールの矛盾点を解消するために明文化しておく必要もあるのかもしれない。 そして、SNSで話題になっているのは、若者世代でファッション化しているタトゥーを容認しないことはもう時代遅れではないか、という指摘だ。JBC側は、長年、反社会的勢力とのつながりを断ち切るための努力を続けてきた。それらの歴史的経緯とボクシングのプロスポーツとしての社会的意義を考慮すると、まだ方向転換するタイミングではないだろう。JBC側は、「確かにタトゥーはファッション化しているが、入れ墨との線引きは難しい。加えて、まだ入れ墨は反社会的勢力の象徴として結びつけられるイメージは消えていない。ボクシングという競技の特性上、暴力行為とも結びつけられやすい。テレビでも放映されるプロスポーツとしての影響力を考えるとボクシング界は、まだ厳しいルールを持っておかねばならない」との考えで、ルールの撤廃、改正には消極的である。