「新NISAを今すぐ解約して二度と手を出すな」という森永卓郎さんが唯一持ち続ける"例外銘柄"の種類
いまある資産は、老後生活に向けてどう振り分けるべきか。経済ジャーナリストの森永卓郎さんは「株価が乱高下する最近の状況は、バブル崩壊の前兆だ。一度バブル崩壊が始まると、株価の下落は長期間続き、投資が可能な資産の価格は、軒並み下落していく。新NISAの口座はいますぐ解約して、二度と投資に手を出さないことが、老後生活を守るカギであり、最も重要な生前整理だ」という――。 【図表】預金口座は一本化する ※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。 ■「資産はすべて金庫の中にある」という思い込み 亡き父の資産整理で体験した相続地獄について続けて話そう。 父は「預金や株式はあちこちにある」と言っていたので、私は父の資産をあぶり出すことから始めたのだが、初めの一歩で激しく出鼻をくじかれた。 まず出向いたのは父のメインバンクだ。父は銀行から貸金庫を借りていて、私も金庫の鍵を開けられるように手続きをしてくれていた。だから、金庫を開ければ通帳など、父の資産に関するものがすべてあると思い込んでいたのだ。 ところが金庫の中に入っていたのは、大学の卒業証書や思い出の写真といった資産とは無関係のものばかりで、唯一金目のものといえば、現在でも100円ほどの価値しかない第一回東京オリンピックの100円銀貨だけだった。 貸金庫事件のあと、私は高田馬場の実家にこもって、リビングに山積みになっていた郵送物の中から金融機関からのものを探し出す作業に取り組んだ。 父が脳出血になって以来、私が実家に定期的に行ってポストの中の郵送物を取り出すようになった。そうしないとポストが溢れ、空き巣の標的にされかねないからだ。 リビングに積まれていたのは、私がポストから取り出して投げ入れた郵送物の山だった。溜まった郵送物を一つひとつチェックしていくのは、気の遠くなるような作業だった。
■役所手続きから本格的な相続地獄へ こうして父の口座がある可能性のある金融機関を絞り込み、銀行や証券会社などに連絡をして父の口座はないかと問い合わせていったのだが、ここからいよいよ本格的な相続地獄へと突入していく。 情報開示のためには、所定の手続き書類の提出に加えて、相続人全員の合意書と、父が生まれてから死ぬまでに戸籍を置いたすべての市役所の戸籍謄本が必要なのだ。なぜすべての戸籍謄本が必要なのかといえば、隠し子の存在を把握するためだという。 「親父に限って隠し子なんてありえない」と言ったところで通用しない。 しかし自分が生まれる前に親がどこに住んでいて、あるいは小さな頃にどこからどこへ移り住んでいたかをきちんと把握している人がどれほどいるだろうか。 父は佐賀県の出身だったのだが、私が佐賀の役所に出向くのは難しいし、旅費もかかる。そこで父が過去に戸籍を置いていた自治体に電話をかけた。 すると「郵便小為替と返信用封筒を同封して、役所に申請書を提出してください」と言う。 しかも全国統一のフォーマットはないので、父が暮らしていたと思われる自治体に一つずつ申請方法を問い合わせ、いちいち別の文書を作成しなければいけないという不合理を強いられた。 さらに言えば、当時は郵送でのやりとりという方法しかなく、役所から返信が届くまでに早くても1週間はかかる。作業は遅々として進まなかった。 ■遺産相続の信じがたい壁 父は戦争中には東京の文京区に戸籍を置いていたが、文京区の役所が空襲で焼け、その時に焼けてしまった戸籍は残っていないという壁にもぶつかった。 文京区時代の戸籍は存在しないのだから取り寄せようもない。 そこで文京区の戸籍が欠けたまま金融機関へ書類を持ち込んだところ、「文京区の役所が焼けて戸籍がないという証明書を提出してください」と言われた。 ところが役所に戸籍謄本焼失証明の書式はないという。 そこで幾度も足を運び、どうしたらよいものかと相談しているうちに、1カ月近くたって、ようやく戸籍謄本焼失証明に準ずる書類を発行してくれた。 結局のところ、父は頻繁に本籍を移していたこともあり、生まれてから死ぬまでのすべての戸籍謄本を揃えるという作業だけで3カ月以上の期間を要した。 戸籍謄本問題を乗り越え、ようやく父の持つすべての口座を把握できたと思ったのは、父の死から6カ月後だ。 東日本大震災のあとメディアは一斉に自粛した。 それに伴い私の仕事も次々にキャンセルになっていた時期だったので、何とかやり遂げることができたが、通常だったら、10カ月という申告期限に間に合わなかっただろう。