日銀・多角的レビュー④:非伝統的金融政策とは何か
非伝統的金融政策が世界に広がる契機は金融危機
12月18・19日の金融政策決定会合で、日本銀行は多角的レビューの議論を行った上で内容を取りまとめ、会合後に公表する、としている。多角的レビューとは、過去25年にわたる非伝統的金融政策の効果、副作用を検証するなどの作業を指すが、ここで改めて、伝統的金融政策とは何かについて、その歴史を踏まえつつ考えてみたい(コラム「日銀の多角的レビューと非伝統的金融政策①:非伝統的金融政策とは何か」、2024年3月15日)。 2008年に発生したグローバル金融危機(リーマンショック)という未曽有の事態を受けて、主要中央銀行は、従来用いられてきた伝統的な短期政策金利の操作(プラスの領域)とは異なるという意味で、非伝統的政策と総称される手法を、次々に導入していった。 その具体的な枠組みは、国債買入れ、その他リスク資産買入れ、フォワードガイダンス(短期政策金利の先行きの見通しや方針を示すこと)、マイナス金利政策、日本でのイールドカーブ・コントロール(YCC)へと順次拡大されていったのである。 海外の文献では、このように紹介されることが一般的であるが、実際には非伝統的政策は、①1999年から2000年にかけて日本で実施された、「ゼロ金利政策」とゼロ金利制約のもとでの「時間軸効果政策」、②2001年から2006年に日本で実施された「量的緩和策」、の2つがその先駆と言える。「時間軸効果政策」は、現在の植田総裁が審議委員であった時に実施した非伝統的金融政策の枠組みだ。 日本で先駆的に行われたこうした非伝統的政策は、バブル経済の発生、不動産価格高騰への政策対応の失敗、金融不安の発生のもとで採用された日本独自の特殊な政策であると、長い間海外では解釈されてきた。しかしグローバル金融危機後は、こうした非伝統的政策がまさに主要各国で標準(スタンダード)となっていったのである。
短期金利のゼロ制約が原動力に
日本、米国、欧州を中心に、各主要中央銀行が非伝統的金融政策の導入を強いられていったきっかけとなったのは、政策金利の水準がゼロ近傍にまで低下し、追加的な緩和余地が限られてしまったことだ。こうした事態は、リーマンショック(グローバル金融危機)の発生後に一気に表面化したものの、その底流には、主要国に共通してみられる自然利子率(経済あるいは需給ギャップに対して中立的な実質金利の水準)の低下傾向とインフレ率の低下傾向があったと考えられる。 このうち、日本ではインフレ率の低下あるいはマイナス化、つまりデフレが主に意識されたのに対して、米国では、ローレンス・サマーズ氏の「長期停滞論」に代表されるように、潜在成長率に近いとみなされる自然利子率の低下傾向がより強く意識された。 しかし両者は、本来別々の事象ではないと考えるべきだろう。例えば、先行きの成長期待の低下が企業の賃上げ姿勢を慎重にし、それがインフレ期待の低下、あるいは実際のインフレ率の低下につながるような経路を考えれば、潜在成長率の低下がインフレ率の低下をもたらすという因果関係があると理解できる。