ニューヨークで輝くアジア系女性ギャラリスト。イヴ・ヤン インタビュー
今年3月、ニューヨークのYveYANGギャラリーはアート・バーゼル香港に初参加し、大きな注目を集めた。アーティスト、ホイディ・シアンの作品を単独ブースで展示し完売したほか、サム・ガントゥスの映像作品をフィルムセクターでも紹介した。また、香港で同時に開催されたサテライトフェア、初回の「Supper Club」にも参加し、チャンド・アオ、ワン・イェ、ポーリン・リンシュといった3人の若手アーティストの作品を披露した。 同ギャラリーは、2016年にボストンのSoWaアート+デザイン地区で設立。翌年、ボストンからニューヨークに移転し、世界中の多様なアーティストを紹介するようになった。ミッドタウンにある拠点を経て、現在はソーホーの元ミシン工場の歴史的な建物のスペースを拠点とし、新進および中堅のアーティストをニューヨークで紹介する場として機能している。 ギャラリーの創設者であるイヴ・ヤンは、ニューヨークで活躍するアジア系女性のギャラリストとしても注目の存在。アートに対する情熱と革新的なビジョンを持ち、自らの起業家精神を駆使してアート界に新しい風を吹き込んでいる。 設立当初、ロールモデルがいなかったというヤンは、ニューヨークのアジアコミュニティにとって「北極星」のような指針となれることを目指すという。今回のインタビューでは、ヤンがギャラリーを設立するに至った経緯やニューヨークでの活動、国際的なアーティストへの関心とサポート、そして今後の展望について話を聞いた。 ボストンに誕生した実験的なスペース ──まず、YveYANGギャラリー設立の背景について伺います。なぜギャラリーを設立しようと思ったのですか? 私は大学や大学院でアートを専攻しておらず、学部では統計学を専攻し、大学院ではテクノロジー起業を学びました。そのため、私は日々生活で何か問題を見つけるよう努めており、それを解決することをつねに考えていました。 最初に考えたのが、当時流行していたeコマースのプラットフォームを立ち上げ、まだギャラリーがついていない若手アーティストや美大在学中の学生たちの作品を紹介し、販売する手助けをすることでした。それを試みた結果、オンラインよりもオフラインでの作品売買の需要が高いことに気付き、2016年初夏にはボストンで最初のギャラリースペースを開設したのです。 ──ギャラリーを立ち上げたとき、どのようなアーティストに注目していましたか? ボストンには多くのスタートアップ企業やハイテク産業があるため、最初はテクノロジーベースのデジタルやインタラクティブなアートに興味を持ってたのです。ボストンでのギャラリーは約10ヶ月しか続きませんでしたが、その間に8つの展覧会を開催し、楽しいイベントも多くできましたね。非常にエネルギッシュで、起業家的で実験的な精神で活動していました。 当時、地元では非常に良い反応があり、各展覧会のオープニングには数百人が集まってくれましたね。 ──ボストンでの代表的な展覧会やプロジェクトについて教えてください。 例えば、そのギャラリーでの3回目の展覧会で、中国人のアーティスト・廖斐(リャオ・フェイ)を招待しました。彼は哲学や数学、物理学に興味を持っており、ボストンでの数ヶ月間のレジデンシー期間中に彼を地元の先進的な研究所に連れて行き、科学者や哲学者と交流させました。 レジデンシーの終了時には「Perspective」という展覧会(2016年10月7日~11月18日)を開催し、関連イベントではオペラのディレクターやコンポーザーを招き、楽曲とストーリー、歌詞を新たに作成してもらいました。プロのオペラ歌手やミュージシャンが出演し、観客との境界がない空間でパフォーマンスを行い、男女の主役がギャラリースペースの外に出たり、また戻ってきたりするなど、非常に印象的なイベントでしたね。 アートの中心地、ニューヨークで再出発 ──ニューヨークに引っ越してきたきっかけについてお聞きしたいです。 ギャラリーの成長やより多くの注目を集めるためには、ニューヨークのようなアートの中心地に移る必要があると考えたからです。 ──ニューヨークに来てから、どのように活動を行ったのですか? 最初は見つけたスペースはミッドタウンにある元兵器庫で、とても天井が高い場所でした。そこでの最初の展覧会は、2017年4月28日から開催されたアーティスト、サム・ガントゥスの個展。その後、ほぼ全員がアジア系アーティストによるグループ展「Time Square」が続きました。 18年4月、ニューヨークの新進気鋭の建築事務所「MOS」とコラボレーションしてギャラリースペースの改修を行いました。「With a Mezzanine」というこのプロジェクトはひとつの建築作品とも言えます。2年の歳月をかけてついに完工しましたが、コロナの影響により21年12月までこのスペースで展覧会を開くことができませんでした。 ──2018年から21年までのあいだは、どのように活動を続けていたのですか? 上海でデヴィッド・オライリーの個展を開催したり、上海やニューヨーク、サンフランシスコのアートフェアに参加したりし、主にポップアップ形式で活動していました。 22年、ニューヨークのトライベッカとソーホーエリアのギャラリーシーンの発展を目の当たりにし、現在のスペースを見つけたこともあって、ニューヨークで活動することを決断したのです。このスペースは1884年に建てられた元ミシン製造工場で、当時の金色の天井や産業用ファンなどの特徴を保ちつつ、最初は壁を取り払ってシンプルなリノベーションを行いました。 私たちが移転した当初、近くにはジェフリー・ダイチのギャラリーしかなかったのですが(彼らはこの地域ですでに20年以上も活動していました)、カナル・プロジェクト、ハウザー&ワース、47 CanalなどのNPOやギャラリーが次々と近くに新しいスペースをオープンしました。 そして、大規模なリノベーションを終えた23年10月末に大規模なグループ展「Offworlds」(2023年10月21日~12月2日)を開催したことが、私にとって本当の新たな始まりを意味するものでした。つまり、ニューヨークの中心的なアート地区でプロフェッショナルなスペースを持ち、女性やアジア系アーティストの声を発信することが可能になったということですね。 その展覧会では、当時、ハーバード大学カーペンター視覚芸術センターの学芸・公共プログラムアシスタントのダニ・シェンをキュレーターとして招きました。彼女と私はともにアジア系女性であることから、18人のアジア系女性に焦点を当てたグループ展を開催することになったのです。同展では、テクノロジーに関連した作品や、彫刻、絵画など、非常に多様なメディアの作品が展示され、アーティストのキャリアも様々でした。 他人にとっての「北極星」になる ──アジア系女性のギャラリストとして、プロジェクトの選定や企画においてどのようなフォーカスがあるのでしょうか? 私たちはニューヨークを拠点とするアジア系ギャラリーとして、自身の背景を踏まえながらアーティストを選定していますが、同時にヨーロッパのアートシーンにも注目し、世界各地のアートフェアにも積極的に参加しています。 ──通常、アーティストはどのように選んでいますか? 主に米国各地の美大の卒業展やオープンスタジオでアーティストを探しています。例えば、コロンビア大学、ハンター・カレッジ、イェール大学などの東海岸の学校や、カリフォルニアのアートスクールなどです。また、年に4、5回はヨーロッパにも足を運び、ロンドン、デュッセルドルフ、フランクフルトなどのアートスクールの卒業展も見に行きます。 私は、作品が誠実であり、独自の表現を持っているアーティストに惹かれます。また、アーティストの個性やキャリア、芸術に対する理解などについて話し合うのも重要だと思います。 もちろんアーティストやキュレーターからの紹介もあります。例えば、最近取り扱い始めたラファエル・エギルや、ピーター・ドイグの学生だったアンナ・マリア・スクロバは、そのような経緯で知ることができました。 要するに、アーティストを選ぶ際には国籍やアイデンティティにとらわれず、何よりも芸術そのものを重視することが重要です。私は幼い頃から起業することが自分の未来であると確信しており、自分の好きなものや欲しいものについても明確に思っていました。アーティストを選ぶ際にも同じで、多くのスタジオ訪問の経験を通じ、迷いなく、一瞬で決めることができます。 ──ニューヨークで活動しているアジア系のギャラリストにとって、どのような優位性や困難があるのでしょうか? ニューヨークには多くのアジア系コレクターが住んでいますが、彼らはほかのギャラリーと比べて私たちの活動により強い関心を持っており、会話が進みやすいです。しかし、アジア系以外の人々にいかに私たちのプロジェクトに関心を持ってもらうか、また、地元のアートコミュニティとどのように関わり、アジア系の声を上げるかは、私たちにとって依然として課題です。 ──ニューヨークのアートシーンにおけるアジア系コミュニティにどのような影響を与えたいと思っていますか? 私はつねに起業家精神を持っており、自分の足場を築きたいと思っています。そして、ニューヨークで代表的なアジア系のギャラリーになりたいのです。 また、私の経験やリソースを活かし、コミュニティに還元できればと考えています。多くの人にとって、同じ機会やリソースを得ることは簡単ではありませんからね。 そして、とくに起業を目指す女性や少数派を支援したいと考えています。私がギャラリーを立ち上げて直面した問題や困難のひとつは、私にはロールモデルがいなかったことです。誰に学ぶべきかわからず、「北極星」のような人がいなかったのです。ですから、私の目標は、自分自身がその役割を果たすことです。そして将来的には、伝説的なギャラリストとなり、ほかの人々の指針となることを願っています。
聞き手・文=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部) Images courtesy of YveYANG Gallery