忘れていた性虐待の記憶を、還暦を過ぎて娘の体を求める父親が蘇らせた。その後、次男の授乳時間が苦痛になり…
◆「昔よりはマシ」と己に言い聞かせる日々 思い出してしまった出来事の大きさに比べて、私の動揺はささやかなものだったと思う。悪阻のせいでもともと食欲はなかったし、嘔吐も日常茶飯事だった。吐き戻す回数は増えたものの、それまでと変わらず長男を幼稚園に送り出し、体調が許す限りは公園にも連れ出した。家事をこなし、元夫の求めに応じて性交もした。私の悪阻は、彼にとって性欲を抑える理由にはなり得なかった。 私の体も、私の心も、私だけのものじゃない。ずっと、そういう感覚に縛られて生きていた。伸びてくる手を振り払ってもいいのだと、その手がどんなに私を求めても、私が嫌なら拒絶してもいいのだと、誰も教えてくれなかった。幼い頃、意味がわからずとも恐怖を感じた私が拒絶した時、父はある罰を与えた。その罰は、とても痛いものだった。だから私は、私を求める手に対し反射的に従ってしまう。そうしなければ、また“あれ”をされるから。 思い出すたびに恐怖で体が固まる。そんな自分に、「昔のことだ」と必死に言い聞かせた。今はもう、同じ家の中に父はいない。夫との関係は芳しくないが、それでもまだ、私は彼を愛している。だから大丈夫、昔よりはずっとマシ。念仏のようにそう唱えるうちに、心に霞がかかった。 私の体調よりも己の性欲を優先し、気分で暴言を吐く夫との生活が、「大丈夫」なわけがなかった。でも、そう思わなければ、昔に引き戻されそうで怖かった。 長男の支えのおかげもあり、その後、無事に次男が生まれた。産後の体調は長男の時よりも思わしくなかったが、次男本人はすこぶる元気で、連日リビングに響きわたる大声で泣きわめいた。赤んぼうの頃から、自己主張の強さは兄に引けを取らない次男であった。
◆授乳中に感じた恐怖。交錯する過去と現在 記憶の欠片を取り戻す作業は、壁に塗られたペンキを剥がすのに似ている。傷の上に分厚く塗られたペンキは、ある日唐突にヒビ割れる。ぽろりと剥がれ落ちたペンキの奥に、まだ塞がっていない傷があらわれる。何年経っても、何十年経っても、塞がらない傷。思い出すだけで、呼吸を止めたくなる痛み。 ふいに眼前にあらわれた生傷を見ても、泣けないのはなんでだろう。いざという場面では一言も発せられないのに、悪夢を見ると金切り声で叫ぶのはなんでだろう。わからないことばっかりだ。わからないことが増えるたびに食いしばり続けた奥歯は、未だにひどく疼く。 悪夢ではぼやけていた顔が、記憶を取り戻したのを境にはっきりと父のそれにすり替わった。饐えたような酒と汗の臭い。歯磨きをしない父特有の口臭。何もかもがゾッとする。肌の内部を虫が這うように、記憶が私の全身を駆けめぐる。 お腹を空かせて次男が泣くたび、私は機械的に授乳をした。長男は幼稚園で、元夫は仕事が多忙でそこにはいない。広いリビングの隅っこで、一人呆けたように胸をはだけて息子に母乳を吸わせながら、きっとこういう時に人は過ちを犯すのだろうと思った。 授乳で使う胸は、性的部位でもある。必死にその一点に吸い付く次男の顔を、直視できなかった。その顔が父のそれに見えたら、私はきっと間違えてしまう。ふわふわの柔い体を抱く手が、怖くて震えた。どうしたらいいかわからなかった。わからないから、自分の腕を噛んだ。間違えないように、正気を保てるように、過去と今を取り違えて罪を犯さぬように、最愛の息子を傷つけないように。祈りを込めて噛んだ腕は、内出血を起こして赤紫色に腫れ上がった。私はいつも、正しい方法がわからない。 その時ふいに、心に舞い降りた一節があった。 “「大きな声で泣いたら、赤んぼうたちが驚くからさ」 「だいじょうぶだよ。ここなら神さましか聞いていないんだから」” 窪美澄さんの連作短編集『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)のラストシーンである。この一節を思い出した時、あぁ、私は泣きたいのだ、とはじめて気づいた。