アメリカ人にとって「パリジェンヌ」は絶対的な幻想? 人気ドラマシリーズのデザイナーにインタビュー
センスとカラー
「12歳以降ジーンズを履いたことがないし、スニーカーも白いTシャツも私には無縁です。子どもの頃、暮らしていたのは人口1万2千人の都市で、おしゃれな店もありませんでした。眺めるとしたらラ・ルドゥートの通販カタログぐらい。祖母の家に行くのが大好きでした。祖母は捨てない人で、50年代のスーツやカシミアのセーター、カラフルなスカーフ、ピンヒールパンプスなどがありました。そうした古着で遊ぶうちに洋服の持つパワーを認識するようになりました。馬子にも衣装とはよく言ったものです。他の人と同じ格好は絶対に嫌でした。1980年代の頃は、60年代風ペンシルスカートにカクテルハットをかぶって通学していました。それからボーイ・ジョージやスージー・アンド・ザ・バンシーズに熱中した時期を経て、ニナ・ハーゲン、デザイアレスに凝りはじめた頃は両親もお手上げとなりました。毎日ヘアスプレー1本を使い切るヘアスタイルを娘がしているなんて、小さな村ではもうおしまいですからね! でも両親はとても寛容で、そんな娘でも見守ってくれたんです。自分としては挑発するつもりではなく、型にはまりたくない一心でした。1980年代から1990年代にかけては、パリの街なかでいつもカラフルな格好をしていて、"オウム"と呼ばれたこともあります。当時はまだ、カワイイスタイルが流行っていませんでした。プラスチックの花に50年代風シニョン、超ハイヒールのカラフルパンプスにアクセサリーじゃらじゃらをつけたスタイルです。その後、13年間のメキシコ暮らしで私は決定的に解放されました」
ファッション信条
「私のスタイルは人生同様、なんでもありの折衷主義です。日本的なミニマリズムにしたり、ウェストウッドのトータルルックだったり。その日の気分やどうしたいか、威圧したいのか、安心感を与えたいのかで異なります。時には夜間撮影の忙しさのあまり、頭に血が昇ってブラックパンツを履いてしまうことさえあります。『エミリー、パリへ行く』は言わばメキシコ時代のマリリン。「本物の」パリジェンヌや「本物の」メキシコ人の大半がそんな格好をしてないとわかっていても、"らしさ"が大事。エミリーはファッションコードをねじ曲げていないし、どんなタイプでもありません。ただトレンドを解釈吸収し、自己表現しているのです」