機体空中分解で102人死亡! 規制緩和が生んだ史上最悪の航空会社、インドネシア「アダム航空」をご存じか
規制緩和が生んだ成長と歪み
インドネシアは東西に広がり、1万以上の島々からなる国だ。東南アジア最大の国で、人口は約2億7000万人以上。そんなインドネシアでの移動手段として航空機は欠かせない存在だ。 【画像】「えぇぇぇ!?」 これが空運業界の「年収ランキング」です! グラフで見る(7枚) 航空市場は非常に大きく、1990年代以降の規制緩和で多くの航空会社が誕生。経済成長も追い風となり、さらなる発展が期待されていた。しかし、多くの会社が急激なビジネス拡大を目指した結果、安全性が軽視されるケースが増え、社会問題を引き起こした。 そのなかでも特に問題視されたのが「アダム航空」だ。この航空会社が引き起こした事故や、企業体質の問題点は世界中から批判を受け、インドネシアの航空市場全体にも悪影響を及ぼす事態に発展した。 日本のテレビ番組でも取り上げられたアダム航空の経緯を、本稿で紹介する。ただし内容はかなり厳しいものになることをご了承いただきたい。
急成長を遂げたLCCの台頭
アダム航空は2002年、インドネシア議会議長だったアグン・ラクソノ氏と、ジャワ島西部を拠点に活動していた実業家でインドネシア系中国人のサンドラ・アン氏によって設立された。翌2003年、GEキャピタルからリースしたボーイングB737を使って運航を開始し、ジャカルタを拠点に路線を急速に拡大していった。 2000年代、東南アジアではインドネシアを含む各国で航空業界の規制緩和が進み、多くの新興航空会社が次々と誕生した時期だった(マレーシアのエアアジアもこの頃に登場している)。 アダム航空は、格安運賃ながら無料の機内食を提供するなどの特典や、派手な塗装による明るいイメージで人気を集め、それまで航空機を利用したことのない層からも支持を得て急成長を遂げた。 2007年時点で、アダム航空はジャカルタとスラバヤを拠点に国内20都市に加え、シンガポールやペナンにも路線を広げていた。さらに、カンタス航空からの出資や株式公開(IPO)も計画され、経営は順調に拡大。インドネシアを代表する格安航空会社(LCC)として成功を収めるはずだった。