《「ハガキでごめんなさい」全国コンクール》「言いそびれた『ごめんなさい』」には、なぜ泣ける話と笑える話が同居しているのか
62歳の息子が母に対してする後悔とは
〈<ごめんなぁ、母さん 八十六歳の母に 「爪、切ってくれないかぃ」 と頼まれた 「それくらい自分で切れよ」 つっけんどんな言葉が口をついた 言ってしまってから しまったと思った 「後で爪切り持ってくるから」 やっとの言葉だった パッチン、パッチン 老いた乾燥した音だった 「少し柔らかくしてから切るかぁ」 温かなタオルの上から老いた母の手を握った 「痩せたなぁ」 なぜ始めから優しい言葉を 掛けられなかったのだろう>(第8回南国郵便局長賞)〉 北海道旭川市の62歳が書いた。母と息子。いくつになっても、後悔することはある。小さい頃には爪を切ってもらったのに、いつの間にか立場が逆転してしまった。息子はその悲しさをパッチンという音に感じたのだろう。 横書きのハガキの端には、ちょこんと座る白髪の母親。背中が丸くなり、体も小さくなったのではなかろうか。差し出した手の爪を切る場面が描かれていた。 しんみりと泣かせるような話は、家族間のことを書いたハガキに多い。近い関係だからこそ、言い出せない「ごめんなさい」があるのかもしれない。だが、そうした関係にも終わりがある。 〈<母が亡くなり実家が人手に渡ることとなった。残された物の多くは思い切って処分することにした。 母は私の幼稚園時代のお絵描き帳をはじめ、こんな物まで、と思う物まで捨てずに取っておいてくれた。しかし狭い我が家のことを考えると、多くは「お母さんごめんね」と心の中で詫びながら処分した。 ふと修学旅行土産として買ってあげた孫の手付き肩叩きを見つけた。 「お前は親孝行だね」と言ってくれた50年前の母の笑顔が浮かんできた。> (第18回大賞)〉 母との別れ、実家との別れ、さらには残してくれた物とも別れなければならない。世は無常と分かってはいても、心に大きな穴が開いてしまう。「青空」と書いた習字、「おえかきちょう」、両手に載せた孫の手が描かれていて、じっと見つめる筆者の視線が感じられる。 この孫の手も処分したのだろうか。