アングル:アサド体制崩壊で揺れるシリア人、国境検問所では喜びと不安が交錯
Nazih Osseiran [マスナ(レバノン) 18日 トムソン・ロイター財団] - その男性は疲れ切った様子で、マスナ国境検問所のレバノン側に立っていた。シリアに背を向け、ベイルートからダマスカスへ向かう起伏の多い道に並ぶ車の列を見渡している。その男性はシーア派ムスリムで、家族と共にダマスカスの自宅を離れた。数日前、アサド前大統領がスンニ派ムスリムの進軍を受けて国外に脱出したため、いずれはシーア派コミュニティが迫害されるのではないかと恐れたからだ。 報復を恐れて匿名を条件に取材に応じた男性は、「カオスだった。街中は武器を持った子どもたちで溢れ、安全ではなかった」と語った。 50年以上続いたアサド家の支配が終わり、国際的な関心は帰国を検討する数百万人のシリア難民に向けられている。しかし、新生シリアを快適に感じている人ばかりではない。 反体制派の中心となったスンニ派のシャーム解放機構(HTS)は、宗教的少数派の保護を約束したが、12月8日に反体制派がアサド政権を崩壊させた後にシーア派ムスリムを中心に数万人がレバノンに逃れたと、ロイターがレバノン当局高官の話しとして報じている。 14年近く続くシリア内戦は、宗派間の対立を深めた。少数派のアラウィ派であるアサド氏は、スンニ派主体の反体制派と戦うため、レバノンやイラク、イランのシーア派武装勢力の支援を受けた。 HTSはかつてアルカイダに属していたが、2016年に関係を断った。指導者ジャウラニ氏は、何年もかけてHTSを穏健派として見せようとしている。 アサド体制の崩壊を歓迎する多くのシリア住民が、13日の礼拝後に街に出てダンスや歌を楽しむ一方で、沈黙し将来を不安視する人々もいる。 内戦前のシリアの人口は2300万人で、その約1割がシーア派だ。ロイターの報道では、直接またはソーシャルメディアで脅迫を受けてダマスカスを逃れたシーア派住民もいる。 マスナ検問所にいた他のシリア人たちは、内戦を経て経済や公共サービスが悲惨な状態にあるため国を去ると語った。世界銀行は、シリアの国内総生産(GDP)が2010年から2020年にかけて半分以下に落ち込んだと報告している。 現在、内戦で数十万人が命を落とし、約1200万人が避難民となり、1670万人が支援なしでは生活できない状況だ。学校や病院は破壊され、国土は紛争と気候変動で荒廃している。 <「根無し草のような生活には慣れている」> 国境で移動の足を探していたマジェド・マジンコさん(31)は、15年ぶりにダマスカス郊外の田園地帯にある自宅に戻るところだと語った。 だが、肉体労働者として働くマジンコさんには経済的な不安もある。帰国に備えて用意した貯金は200ドル(約3万1500円)。仕事が見つからなければ、いつまでもつか自信はない。 「国のトップがアサド氏だろうと誰だろうと関係ない」とマジンコさん。「自分はただ生きて、安心して眠りたいだけだ。やっかいごとはもうまっぴらだ」 蓄えが尽きる前に仕事が見つからなければレバノンに戻るつもりだ、とマジンコさんは言う。 「根無し草のような生活には慣れているよ」 ハサン・ナワスさん(19)もやはり移動の足を探していた。ナワスさんの隣に立っていた友人は、荷物を持ったまま走り去った運転手に怒っていた。 しかし、ナワスさん自身は気にしていない様子だ。初めて祖国に戻るという子供の頃からの夢が叶おうとしている。 レバノン生まれのナワスさんは長年、ダマスカスのウマイヤド・モスクでの礼拝を夢見てきたが、ついにその夢が叶いそうだと言う。 ダマスカスに着いたら、両親や兄弟と共に暮らす予定で、夢を一つ達成したら、次の夢に向けてしっかりと目標を定めるつもりだ。 「ダマスカスで家具店を開くつもりだ」と言い、ナワスさんは自宅方面に行きそうなタクシーに駆け寄った。興奮のあまり、失った荷物のことはすっかり忘れている。 反対方向から来るシリア出身の2児の母、サハール・アサドさん(23)は、既に多くの混乱を経験してきた。 内戦中にシリアを離れていたアサドさんは、7カ月前、イスラエルと親イラン民兵組織ヒズボラの武力衝突を避けるため、ベイルート南部の新居から避難し、ダマスカスに戻った。 「ようやくレバノンでの紛争も落ち着いてきた。この子どもたちを学校に戻さないと」とアサドさんは言う。シリアの方を指差し、「向こうには学校がないから」と続けた。 夫のことも心配だ。夫はアサド政権軍に徴兵されるよりはましだと考え、空爆が続くベイルートに留まった。アサドさん一家は、当面シリアに戻る予定はない。 「当分は様子見だ」 (翻訳:エァクレーレン)