エアアジアのインド市場撤退! 「LCC戦争」敗北の理由とは何だったのか? 過去栄光の落とし穴を再考する
戦略ミスで落としたシェア
しかし、エアアジア・インディアのシェアは伸びなかった。インド航空市場におけるシェアは拡大し続けたが、2014年に就航してから6年目の2020年時点でも、わずか7%にとどまり、少数派のままだった。その理由はエアアジアの戦略ミスにある。 エアアジアは東南アジア市場でライバルが少ない状況のなか、格安運賃を武器に成功を収めたが、インド進出時にはすでに ・IndiGO(インディゴ) ・スパイスジェット といった強力なLCCが存在していた。また、インドの航空規制は厳しく、大手航空会社ですら苦しんでいた。キングフィッシャー航空の破綻を受けて規制緩和が進んだものの、それでも他国に比べて新規参入には厳しい環境だった。 エアアジアはこの状況を打破するため、「5/20ルール」の撤廃を目指して動き出した。この規制は、国際線に進出するために5年以上の運行実績と20機以上の航空機を必要とするもので、キングフィッシャー航空やジェットエアウェイズが苦しんだ原因となった。 しかし、エアアジアは規制緩和を進めるために政府側に賄賂を渡した疑惑が浮上し、最高経営責任者(CEO)のトニー・フェルナンデスを含む数人がインドで起訴される事態となった。その結果、規制緩和は進まず、エアアジアの戦略は頓挫した。 さらに、エアアジア本社とインディア側の合弁相手であるタタとの間にも対立があった。タタは英国植民地時代から続く伝統的な企業で、エアアジアとは社風が大きく異なり、業務の進め方が複雑になりコスト増の要因となった。エアアジアAirAsia launches new low cost airline in Cambodia本社は成果が出ないことにいら立ち、細かい指示を繰り返したが、その結果、エアアジア・インディアの社長は設立から3年で辞任することになった。 マーケティング戦略にも問題があった。エアアジア・インディアはデジタル技術を駆使して、高頻度でテクノロジーに詳しい人々をターゲットにしていたが、インド市場では初めて飛行機に乗る人が多く、この戦略は的外れだった。そのため、いくら宣伝を強化しても、インドの消費者には響かなかった。 ・国内での厳しい競争 ・新規参入組に厳しい規制 ・社風の違い ・マーケティング戦略の失敗 が原因だった。 インドと同時期に進出した日本のエアアジア・ジャパンも、厳しい環境に直面した。新幹線や高速バスが発達している日本では、羽田空港の発着枠や成田空港の発着時間といったローカルルールが厳しく、ANAのように日本の事情に合わせた慎重な姿勢が求められた。しかし、エアアジア本社はドラスチックな規制改革と急拡大を目指し、企業文化の違いから対立が生まれた。また、わかりにくいウェブサイトやマーケティング戦略の失敗も重なり、結果として破綻に至った。 エアアジア・インディアも、同じような問題を抱えていたといえる。これらの問題が解決できない限り、東南アジアのように積極的な拡大戦略を取るのは難しく、エアアジア・インディアは黒字転換を果たせず、苦戦を強いられた。