藤田菜七子27歳、永野猛蔵22歳が引退の“異常事態”…「騎手のスマホ不正使用」本当の問題点とは何か?「たかがスマホという感覚でいる限り…」
なぜスマホ使用禁止? 大前提は「公正競馬」の徹底
そもそも、なぜ、騎手による調整ルームでのスマホ使用は禁じられているのか。 大前提に、JRAが掲げる「公正競馬」の徹底がある。公正確保のため、レース前の装鞍所での馬体検査、騎手の検量(馬が背負う斤量のチェック)、レース中に走行妨害がないか、全能力を出し切っているかなどを監視し、レース後には禁止薬物の使用の有無を理化学検査でチェックしている。出走の10日前までにJRAの競馬場やトレーニングセンターに入厩していなければならないという「10日ルール」もそのひとつだ。それにより、追い切りのタイムや映像、関係者のコメントなどの情報もまんべんなくファンに伝えられる。 公正の反意語は「不正」「偏向」だ。競馬における不正として誰もが思い浮かべるのは「八百長」だろう。中央競馬でも1965(昭和40)年に「山岡事件」と呼ばれる不正事件が起きた。天皇賞や有馬記念などを勝った一流騎手だった山岡忞(つとむ)が暴力団から金品などを提供され、八百長行為を行い、収賄罪で逮捕された。それを機に、競馬の前には調整ルームに入室し、外部との接触を断つなどルールが厳格化された。厩舎関係者による予想行為が禁じられたのも、山岡事件がきっかけだった。 細かく言うと、スマホの調整ルームへの持ち込み自体は禁じられていなかったのだが、冒頭で触れた6人の若手騎手による違反(通話やインターネットの閲覧)以降認められなくなった。 騎手たちは開催前に外部との接触を断って公正確保に尽くしている――ということを対外的に示すという象徴的な役割も、調整ルームのルールは担っている。が、それがたびたび破られてしまった。
馬券の発売が「合法」と認められるまで
なぜ、調整ルームのルール違反は、長期の騎乗停止処分につながるほどの「重大な非行」とみなされるのか。 その背景には、日本では、競馬も賭博のひとつとして違法とされていた時代があったという歴史と、公営競技以外のギャンブルは認められていないという現状がある。 詳述すると長くなるので簡単にまとめると、明治時代の終わり、東京の池上競馬場などで日本人が主催する競馬で馬券が売られ、大盛況となった。競馬ブームが訪れたのだ。しかし、主催者の不手際や、馬券で家を潰す者が現れるなど社会問題になり、馬券の発売が国に禁じられた。収入源を絶たれた競馬関係者は苦境に陥った。その状況を打破すべく「日本競馬の父」と呼ばれた安田伊左衛門が自ら衆議院議員となって馬券復活運動をつづけ、大正時代に帝国議会で競馬法が可決され、馬券の発売が合法になった。 博打は御法度の我が国で、先人たちが長年苦労してやっと通した競馬法のおかげで、日本は世界最高額の馬券売上げを誇るまでになったのだ。昨年、2023年は、その競馬法制定100年を記念する重要な年だったのだが、既述のように、ルールを守らない騎手が出てしまった。
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