阪神が2011年ドラ1伊藤隼太に戦力外通告
阪神が伊藤隼太外野手(31)に戦力外通告を行ったことが3日、明らかになった。新型コロナの感染拡大の影響で開幕が遅れた今季は、2日から日本シリーズ終了の翌日までが戦力外通告期間に設定され、例年のように1次、2次の期間に分けられていないが、阪神は3日、複数の選手に文書で戦力外を通告した。4日にも各選手と対面で今後についての話し合いを行う予定だ。 “ハヤタ”の愛称で親しまれた伊藤は、中京大中京から慶大に進み、大学時代には、チームでは主将、大学ジャパンでも4番に抜擢されるなど活躍。3拍子揃った強打の外野手として、母校の先輩に重ねて“高橋由伸2世”との評価を受け、2011年に阪神からドラフト1位で単独指名された。ちなみに、この年のドラフトでは、高橋周平(現中日)、藤岡貴裕(ロッテから日ハム、巨人を経て今オフ戦力外)が3球団、菅野智之(現巨人)が2球団に1位で重複指名されている。 ちょうど和田豊監督の就任1年目で、当時、クリーンナップを打っていたのが、FAで広島から来たベテランの金本知憲、新井貴浩だったため、伊藤は生え抜きの将来の4番候補として期待された。マートンの故障もあって開幕戦の横浜DeNA戦(京セラ)では「8番・ライト」でスタメン出場。阪神の新人外野手としては40年ぶりの快挙で、9月には、初本塁打を満塁本塁打にする非凡さも見せつけたが、1年目は、22試合、打率.148、1本塁打、5打点と結果を出せず、2年目もレギュラー定着とはいかなかった。 当時の中村勝広GMが、伊藤の伸び悩みに頭を痛め、そのオフに同じ左打者の“レジェンド”掛布雅之氏をゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネータに就任させ、“ハヤタ”の育成役に任命。“掛布チルドレン”と呼ばれた伊藤は、徐々に力をつけ、2015年には、自己最多の63試合に出場、代打ではチームトップとなる打率.316を残すなど、“左の切り札”として存在感を示し始めた。 だが、2016年は、自主トレ中に金本新監督の号令のもと始まっていたウエートトレーニングで故障して出遅れた。2017年は2軍スタートから再び左の代打でチャンスをつかみ1、2軍を行き来しながらも9月10日の横浜DeNA戦では、9回裏2死満塁から代打でプロ入り初のサヨナラ安打をマークしている。 2018年には、プロ入り7年目にして初めて1年間1軍に帯同。主に代打として96試合に出場、その勝負強さを買われ、シーズンの終盤には、クリーンナップにまで抜擢されていたが、オフに金本監督が電撃退任。矢野新監督に交代した2019年は、1度も1軍に昇格することがなく、勝負の年となった今年の3月には、藤浪晋太郎や長坂拳弥とともに新型コロナウイルスに感染したことが判明して出遅れた。新型コロナの感染拡大の影響で開幕も遅れたが、開幕の1軍メンバーからは漏れ、ウエスタン・リーグでも、今季は46試合出場、打率.186、1本塁打、14打点の成績しか残せず、1軍昇格のチャンスは一度もなかった。