アメリカ大統領選挙の基本「共和党と民主党の二大政党制」が成立した経緯とは?
好感情の時代
ところで、二大政党制というのは「時代に合わせて、あるいは国際情勢に合わせて両党が交互に政権を担当する」というのが理想ですが、初めのころは安定せず、「連邦党」が政権を握ったのは第2代ジョン・アダムズの「1期4年」のみで、以降、第3代トーマス・ジェファーソン、第4代ジェームズ・マディソン、第5代ジェームズ・モンローと3代「6期24年」にわたって「共和党」が政権を独占する時代がつづきます。 特にジェームズ・マディソンの時代に勃こった米英戦争は国民の反英感情を高め、親英派だった「連邦党」は急速に求心力を失い、続々と党員が党を見限って「共和党」へと移党したため、次のジェームズ・モンローの代には「連邦党」は解散に追い込まれるまでに陥りました。 これにより「二大政党制」は破れて「一党独裁」が成立、結果的に「ワシントンの遺訓」のひとつ(党派闘争の否定)が実現します。 さらに、たまたまこのころ欧州列強(神聖同盟軍)が中ラテンアメリカ南米に軍を送り込もうとしてきたため、これを食い止めんとモンロー大統領は「モンロー宣言(※4)」を発してジョージ・ワシントンの中立政策を明文化したことで、奇しくも「ワシントンの遺訓」のふたつ目(中立政策の堅持)も実現することになります。 ただし、モンローの政策はワシントンの主張した「中立主義」を基盤としながら、彼の時代に合わせて改良したものなので、"ワシントン式中立主義"とまったく同じものではなく、したがって、これ以降は彼の名を冠して「モンロー主義」と呼ばれるようになります。 [注釈] (※4)厳密には「宣言(declaration)」ではなく「教書(message)」ですが、内容的には「宣言」なので名より実を取って「モンロー宣言」と言い慣わされています。
神野正史(元河合塾世界史講師)