アメリカ大統領選挙の基本「共和党と民主党の二大政党制」が成立した経緯とは?
現代のアメリカ政治を語る上で欠かせない二大政党制。その起源は、建国初期の政治対立にまで遡る。連邦派と反連邦派の対立、そしてフランス革命がアメリカに与えた影響など、現代の政治状況を理解する上で重要な歴史的背景について、書籍『教養としてのアメリカ大統領選挙』から解説する。 【書影】アメリカ大領領選挙にはどんな特徴がある? カリスマ世界史講師が示す「11月の大統領選挙」の読み解き方 ※本稿は、神野正史著『教養としてのアメリカ大統領選挙』(秀和システム)から一部を抜粋・編集したものです。
二大政党の萌芽
アメリカ合衆国の大統領選挙について知るためには、まずアメリカ合衆国の「政党史」について知っておかなければなりません。 アメリカ合衆国といえば、今でこそ「共和党(リパブリカン)と民主党(デモクラティック)の二大政党制」という印象が強いですが、建国当初からそうだったわけではなく、まだ初代ジョージ・ワシントン大統領のころには「政党」は存在していませんでした。 ただし、すでにその"萌芽"は生まれており、その前身となった「連邦派(フェデラリスト)」と「反連邦派(アンチフェデラリスト)」の対立は始まっています。 まだ独立戦争の真っただ中にあった1777年、独立軍は"仮憲法"として「連合規約」を制定したのですが、そのころはまさにイギリス(中央政府)と交戦中だったため、中央政府に対する反発からそれは極めて「州権(地方分権)的」性格の強いものとなってしまいます。 しかし、あまりにも左に偏りすぎた弊害が戦後になって問題視され、1787年、"正式憲法"を制定するにあたって揺り戻しが起こり、「中央集権的」なものに生まれ変わることになりました。 これが、27回もの修正を繰り返しつつも、現在に至るまで脈々とつづいている「合衆国憲法」です。 こうした経緯から、合衆国憲法を護ろうとする者たちが「連邦派」を、連合規約を復活しようとする者たちが「反連邦派」を形成して対立するようになり、これがのちの「二大政党制」の"卵"となっていくのですが、ワシントン大統領はこうした内部抗争を嫌って両派の調停に奔走しますので、政党の成立はもう少しのちのことになります。