細貝萌がプロ入り時から決めていたキャリアの最後「群馬でプレーしたい、という夢が失われたことは一度もなかった」
その海外移籍に先駆け、「細貝萌」の名を一躍世に知らしめたのは2011年1月、日本代表として戦ったカタールでのアジアカップ準決勝、韓国戦だろう。1-1の状況下、87分からピッチに立った細貝は延長前半7分、本田圭佑が蹴ったPKのこぼれ球に素早く詰めてゴールを奪う。結果的に、延長後半15分に再び失点して追いつかれたものの、最後はPK戦を制して決勝進出を決めた。 「PKの時にこぼれ球に詰めること自体は、浦和時代もずっとやっていたことなんです。ほぼほぼこぼれてきたことはないし、なんならサッカー人生でもあの1回きりなんですけど(笑)。そういう意味では、僕自身はそこまで珍しいプレーとは思っていなかったし、ましてやその後、同点に追いつかれて、PK戦に突入しましたから。もっと言えば、決勝のオーストラリア戦では延長の末にチュンくん(李忠成)のえげつないボレーが決まっての優勝ですから。そっちのほうがすごいでしょって思っていました。 ただ、いまだにあの韓国戦のゴールについて、いろんな人から話をされますから。そんなふうにひとつのプレーのことを繰り返し言ってもらった経験は、あとにも先にもあのゴールだけだと考えても、たくさんのサッカーファンに僕を知ってもらった、自分のキャリアを代表する大きなゴールだったと思っています」 (つづく)◆大病も患った細貝萌が振り返る20年間のプロ生活>> 細貝萌(ほそがい・はじめ)1986年6月10日生まれ。群馬県出身。前橋育英高卒業後、浦和レッズに入団。2008年に北京五輪に出場。浦和でも主力として奮闘した。2010年、日本代表入り。同年、ドイツのレバークーゼンに完全移籍し、期限付き移籍先のアウクスブルクでプレー。その後、レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポル、ドイツのシュツットガルト、柏レイソル、タイのブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドと渡り歩いて、2021年にザスパクサツ群馬(現ザスパ群馬)に加入。そして、今シーズンをもって現役引退。来季からは群馬の社長として奔走していく。国際Aマッチ出場30試合、1得点。
高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa