細貝萌がプロ入り時から決めていたキャリアの最後「群馬でプレーしたい、という夢が失われたことは一度もなかった」
「高校3年で全国大会に出て、見事優勝する」「Jリーグの柏レイソルに入る」から始まって、「10年後、22歳で日本代表になり、がんばっているだろう」、「23歳でスペインリーグに行き、レアル・マドリードに入団」とある。 「懐かしいですね。当時は、群馬県出身で前橋商業高校からレイソルでプロになった大野敏隆さんが僕にとってのスーパースターだったんです。群馬のサッカー界では知らない人がいないというくらい有名な方で、僕が小学生の時に所属していたFC前橋ジュニアの指導者、小林勉さんの教え子だったことから、よく話を聞いていました。 大野さんがプロになられたあとも、シーズンオフにはよく前橋ジュニアに顔を出してくださったので、一緒にサッカーをしてもらったこともあります。その大野さんと同じユニフォームを着たい、という憧れからレイソルに入りたいと書いたんだと思います」 もっとも「26年後、38歳で引退」と描いたとおりに引退を決めたのは、まったくもって偶然だったという。 「38歳という年齢がどこからきたのか覚えていないですが、結果的にその言葉どおりに、20年ものプロキャリアを続けられたのは、いいサッカー人生だったと思います。ただ、悔いはあります。もっとこうしておけばよかった、もっとできたな、と思うこともたくさんあるし、レアル・マドリード入りも実現できていない(笑)。また、本田圭佑や岡崎慎司、長友佑都(FC東京)ら、すごい同世代が重ねてきた代表キャップ数とか、残してきた結果に比べたら、僕の(Aマッチ出場)30試合なんて足もとにも及ばないですしね。 彼ら以外にも、今もバリバリプレーをしている西川周作(浦和レッズ)や、今シーズン限りでの引退を発表した興梠慎三(浦和)をはじめ、年下ながら香川真司(セレッソ大阪)、吉田麻也(ロサンゼルス・ギャラクシー)ら本当にすばらしい選手と同じ時代を生きてきて、いつも刺激をもらっていたからこそ、自分ももっと結果を残したかった。 でも一方で、僕くらいの選手が『よくもまぁ、20年もやれたな』というのも正直な気持ちで......。技術が秀でているわけでもない、体もたいして大きくない、特別なパワーがあるわけでもない自分が、こんなにも長くプロとして戦ってこられたのはやっぱり幸せだったと思います」 そのキャリアを語るうえで、細貝が「外せない」と振り返るのは、FC前橋ジュニアユースに所属していた中学生時代だ。初めてU-15日本代表に選出され、同世代の猛者たちと世界を戦えた経験は大きな刺激となり、本格的にプロサッカー選手を志すきっかけになった。 「テレビで見ていた日本代表の選手と同じ日の丸のユニフォームを着て戦えて素直にうれしかったし、世界の同世代のレベルを知って、よりせき立てられるような感覚もあった。高校サッカーで勝負しようと前橋育英高校に進学してからも、継続的に世代別代表に呼んでもらったことで、単なる憧れだった"プロ"がより現実的になっていく感じがしたし、サッカーで生きていく覚悟を固めたのもこの頃だった気がします」