なぜ日本に「マンガ・アニメ文化」が生まれ育ったのか(下)
電車に乗っていると、スマートフォンでマンガを読んだり、アニメを見ている人をしばしば見かけます。年齢、性別問わず、多くの人に愛されている文化であることを実感させられます。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、前回、マンガやアニメについて「日本文化の特異点ともいうべき存在」と指摘。「マンガ・アニメ文化」が生まれ育った理由について考察しました。前回に引き続き、若山氏が独自の「文化力学」的な視点から、マンガ・アニメ文化について論じます。
戦後マンガ文化の大爆発
京都アニメーションの事件は、令和元年最大の悲劇の一つだった。 前回「天皇とマンガ・アニメは日本文化の特異点だ」と書いた。そしてゲームやコスプレなどを含めた「マンガ・アニメ文化」が生まれ育った理由として、日本の建築などは「精妙文化」であること、日本語とその文章の「視認性のよさ」、「絵巻の物語性」と「浮世絵のダイナミズム」といった伝統をあげた。 ここでは、戦後マンガ文化の大爆発について考えたい。僕が好んで読んだ漫画家だけでも、手塚治虫、横山光輝、寺田ヒロオ、白土三平、ちばてつや、さいとう・たかを、秋本治、あだち充、浦沢直樹、井上雄彦など、コミカルなものなら長谷川町子、東海林さだお、園山俊二、黒鉄ヒロシ、さくらももこ、植田まさしなどなど。 なぜ、戦後日本にこれだけのマンガ文化の大爆発が起こったのだろうか。
大量の年少読書層
第二次世界大戦後のベビーブームという現象は多くの国で見られたが、日本でも出産数が跳ね上がり、いわゆる「団塊の世代」が登場した。僕らの年齢で、小学校は一クラス50人を超え、一学年8クラスとなった。校舎が間に合わず一時的に二部制となった学校もある。しかも日本の識字率は世界一といっていい。大量の年少読書層が誕生したのだ。 しかしそれは本格的な小説を読む階層ではなかった。敗戦による指導層の崩壊は、確固たる読書階級の壊滅でもあった。焼け跡に建ったバラックのような日本の家々に、読書という習慣が戻るには時間がかかった。 それでもこの国には、腹を空かせて「ギブミーチョコレート」と叫ぶのと同じように、書に飢えて「読むものをくれ」と叫ぶ子供たちがいた。子供の好奇心は食欲にも勝る。僕らは喉から手が出るように、いや眼から手が出るように、読むものを求めた。子供でも読みやすいマンガを求めた。戦後マンガ文化の大爆発はこの「読むものへの飢え」から出発している。